エッジとイリスが二人揃って古の森バルテッサからゼー・メルーズに姿を見せたとき、街の住民たちが喜びに沸くのをイリスは驚いた様子で見ていた。確かに道中でエッジからすでに一年間が経過していたことを聞いていたが、笑っておかえりと言ってくれる人の他に泣きながら抱きつく人や心配したんだからと泣きじゃくりながら怒る友人など様々な態度で皆がイリスのことを出迎えてくれるとは想像もしていなかったのだ。あの白い空間にいたときのイリスには時間という概念はなく、ウロボロスとの戦いに勝利してエルスクーラリオが話しかけてきた直後に目覚めた感覚しかないため少しだけ困惑してしまったのが本音だ。
だが最後まで一緒に戦ってくれたネルが姉のユラと一緒に現れたとき、そして見る見るうちに瞳に涙を浮かべた彼女がこちらに向かって走ってきたのを見て実感がわいてきてじわりと胸が熱くなる。
「イリス! おかえりなさい!!」
「ネルちゃん……っ!」
胸に飛び込んできたネルは涙を流しながらもにっこりと笑い、イリスの帰還を全身で喜んでくれる。それからネルはイリスを抱きしめながらエッジに顔を向けて、満面の笑みを向けた。
「良かったね、エッジ!」
「あぁ……」
ネルの言葉に素直に頷くエッジ。イリスには実感がないが、自分がいない一年間にこの二人は一体どんなことを考えていたのだろうかと思いながら目の前で繰り広げられる会話をぼんやりと眺める。
ふいに隣にいたエッジがネルから目線を上げ、こちらを向いた。
「イリス?」
「……ぁ、」
エッジと視線が交わる。目が合うことなんてそれこそウロボロスとの戦い以前には日常茶飯事で気に留めたこともなかったのに。
──俺は、イリスが好きだ。
バルテッサで二人きりのときに告げられた言葉が頭を過ぎる。イリスとてあのとき、あのタイミングでの言葉がどんな意味を持つのかわかっているつもりだ。家族としてではない、一人の男性としてエッジはイリスに告白をしたのだ。
「~~~~~~っっ!!」
顔に熱が集まり、イリスは思わず両手で己の頬を覆った。鏡なんて見なくてもわかるほどに、きっと自分は顔を赤く染めている。恥ずかしい。それなのに、どうしようもなく嬉しい。
けれどエッジは羞恥で身悶えるイリスに気づかず、急に顔を隠そうとしたのを体の不調だと受け取ったのかこちらの肩を掴んで顔を覗き込んでくる。
「大丈夫か、イリス。どこか体の調子が悪いのか? ノエイラ、すまないが休める場所はあるか?」
「……エッジくん……まあ、イリスちゃんから話も聞かなければいけないし、丁度良いわ」
いつの間にか現れていたノエイラはさりげなくエッジからイリスを離し、優しく手を握りながら先導する。すみません、と小さく謝るイリスにノエイラはクスっと笑いながら「おかえりなさい」と労りの言葉を囁く。ノエイラとネル、そしてエッジと歩きながら見つめる街並みにイリスは漸く帰って来たのだと深く思うのだった。
イリスの体にどこも不調がないとわかり、エッジと共に工房に戻って来たのはあと数時間で日付が変わってしまう夜も更けた時間だった。
白い空間でエルスクーラリオと何を話したのかとイリスに話を聞きたがったノエイラとユアンに対してエッジはもう休むと強制的に話を切り上げたのだ。確かにイリスも少し疲れていたのでエッジの行為は失礼だと思いながらも助かった部分がある。だが、話を切り上げられた二人は気分を害するどころか少し楽しそうに笑っていたのがイリスには気になって仕方がなかった。今思えば話していた内容も雑談がメインでウロボロスやエルスクーラリオの話はさほど話していなかった気がする。
「イリス、今日はもう休もう」
「エッジ……うん、そうだね」
いつものようにはしごを登り、2階のベッドで眠ろうとしたイリスはふとエッジに視線を向ける。エッジはソファーに座ったままこちらの顔を背けて錬金釜をじっと見つめていた。誘われるようにイリスもそちらへ顔を向けるが特に変わった様子は見られず、首を傾げる。
「エッジ、何を見ているの?」
「……気にするな」
「むぅ、そんなこと言われたら気になるよ」
手をかけていたはしごからソファーの方へ歩を進め、エッジの隣に座る。同じ目線になっても気になる物は見つけられず、イリスはエッジの服を掴んで彼に問いかけようと口を開いた、その瞬間。
「……イリス」
「えっ、あ……っ!」
イリスの視界がエッジと彼越しに微かに見える見知った天井に染まる。背中は柔らかいソファーに包まれていて、押し倒されたのだと理解したのはエッジに指を握りしめられたときだった。
手を繋いだことは幼い頃にもいっぱいあった。けれども恋人のように指と指の間に彼の指が絡みつくようなことは今まで一度もない。エッジの指は自分の指とは違い、長くゴツゴツとしている。イリスの手をすっぽりと覆えそうなほどに大きい手は、紛うことなく男性の手でイリスの動揺を蘇らせるには充分だった。
「イリスは勘違いしているかもしれないが、俺がバルテッサで言った好きは家族としてじゃない。……こういった意味で、俺はイリスが好きなんだ」
「エッジ……」
「……すまない、少し頭を冷やしてくる」
するりと指を解き、離れようとするエッジにイリスの体は勝手に動いて彼の胸元に顔を寄せた。上からエッジの焦った声が聞こえるがイリスはそれよりもどくんどくんと早鐘を打つ彼の鼓動に息を飲んだ。冷静に見えていたエッジもイリスと同じように──もしかしたら彼の方が早いくらいかもしれない──緊張しているのだと知って、肩に入っていた力が抜ける。エッジの鼓動に耳を傾けながらイリスは口を開く。
「あの、ね。エルスクーラリオにわたしが知識を求めるのは他者のためって言われたって話覚えてる?」
「……あぁ」
「わたしが皆の笑顔が見たいからって理由は今でもあるよ。でも、それだけじゃないの」
「?」
「わたしが、……わたしが一番笑顔にしたいのはエッジ、あなたなの」
エッジの胸元から顔を上げ、彼と目を合わせる。互いの瞳に相手を映す距離のまま言葉を続ける。きっと顔はすでに真っ赤になっていて、緊張で言葉も震えているけれど、どうしても伝えたい言葉は止まる気配を見せなかった。
「あなたが生きる世界が好き。わたしがその世界を守れるのなら守りたいと思った。あなたの笑顔が、わたしを呼ぶ声が、全てがわたしにとって一番大切なものだったの」
「イリス……」
「そのことに、ウロボロスと戦う前から気づいていたの。でも、言えなかった……」
視界が滲む。泣かないつもりだったのに、泣いてしまったと自覚してしまえば次々と涙が零れてきてしまう。まだ大事なことを伝えていない。言いたいことがたくさんあるのに。
「イリス、焦らなくていい。俺は、イリスはここにいる。もう離れないでいいんだ」
「う、ん……っ!」
ぎゅっと抱きしめてくるエッジの背中に手を回しながらイリスは告げる。ずっと言えなかった言葉を、想いを一番大切な人へ。
「わたしはずっと前からあなたに恋をしていたの。わたしも、あなたが好きです」
ねえ、エッジ。初めて会った日を覚えている?
わたしは覚えているよ。あの頃のわたしは男の子と接したことなんて全くなくて、それなのに今日から一緒に住むことになったってお父さんが言うから驚いちゃったの。特にあの頃のエッジは輪をかけて無愛想だからわたしはちょっとだけ怖かった。今思うとエッジも緊張していたのかな?
お父さんもいなくなってしまったときからあの頃の話はなんとなくしちゃいけない気がしてエッジに聞くことも出来なかったもんね。聞いておけば良かったな、って今さら、そんな場合じゃないのに思うんだ。
ねえ、エッジ。もっといっぱいお話しておけば良かったね。
ぶっきらぼうに見えて本当はとても優しくて、頼られると助けちゃうお人好しなエッジのことをもっといっぱい皆に知ってもらえば良かった。ううん、皆もう知っているかな? 知っているよね、だってエッジはわたしと一緒にこの街でずっと過ごしてきたんだもんね。
だからきっと、大丈夫だよね。寂しくないよね?
わたしがいなくなっても、エッジは大丈夫だよね?
「この呪いは、ウロボロスと繋がっている」
ごめんね。そんな悲しい顔をさせたかったわけじゃないの。
でもね、話しておかなければいけないことだから。世界のために。なによりもわたしと、あなたのために。今までいっぱい隠してきたけど、最期だから全部話しておきたいの。エッジがわたしのためにいっぱいいっぱい頑張ってきてくれたことずっと忘れない。優しいあなたのことだからきっとぎりぎりまで抗おうとしてくれるんだよね。その気持ちが嬉しくて、ほんの少しだけ泣きたくなるの。
もういいんだよ、って言いたくなってしまう。でも、エッジが頑張っている姿を見ているとわたしももしかしたら、って希望を持ってしまうの。もう諦めているのに、それでももしかしたらって思わせてくれるエッジはすごいね。
わたしの自慢の家族だよ。
……ううん、ごめんね。わたしはエッジのことを家族だと思えない。悪い意味じゃないよ? でもね、うん。ごめんね、やっぱりなんでもないよ。ふふ、おかしいね。さっきまではいっぱいお話しておけば良かったって思っていたのにこれだけはエッジに伝えることは出来ないんだもん。
でもね、これだけは絶対に秘密なの。
誰にも言わない、わたしだけの秘密。
だって、伝えてしまったらエッジはきっとずっと後悔しちゃう。それだけは嫌だから。エッジには笑顔でいて欲しいの。照れたように小さく口角を上げる笑顔や、穏やかなときにほっとしたような表情で笑う顔が、わたしにとってはなによりも大切だから。
世界よりも、なによりも、あなたが生きる世界が。
だから、エッジ。これで、お別れだね。
ずっとこの気持ちは隠して、わたしが一人で連れて行くから、心のなかで思うことだけは許してね。
「わたしの命で世界を救えるのなら────!」
ありがとう、エッジ。ずっと大好きでした。
さようなら。
アトリエプチwebオンリー展示作品。アトリエ作品ではイリスのアトリエGFが一番好きです。イリスちゃん可愛い