紬ぐ未来
無事に学園に復学したマレウスはすっかり元通りになった自室で椅子に腰かけながら深い溜息を吐く。己の姿を見て怯える者や普段通りに接する者、前も今も関わらないとする者など様々な人の子の感情に触れているせいか気が休まらない状態が続いている。それは当然自業自得であり、己のなかで消化すべき問題であることはマレウスも理解していた。だから誰かに相談することもなく、決して表に態度を出さないようにこうして一人になった自室でのみ溜息とともに疲れを吐き出している。
それに悪いことばかりでない。人の子の感情が触れていると思うのは、マレウス自身が今まで気にも留めなかった彼らを気に掛けるようになったからだ。負の面も確かにあるだろうがこの変化はマレウスが長い刻を生きるなかで大切にしなければならないものなのだろう。セベクやシルバー、そしてリリアが教えてくれたものだ。
はぁ、とまたしても深く息を吐いた。
考えないようにしていた人物に思考が辿り着いてしまいマレウスは額に手を当てる。鈍痛が断続的に頭の全体をしめつけるかのように走り、光や音といった過敏になっている感覚を遮断するために防音魔法をかけてから瞳を閉じた。
視界が闇に染まっているなかで鮮明に思い返されるのはあの戦い、己の吐いた炎がリリアを傷つけた瞬間。小さな身体は石で出来た橋を何回転もしながら転がり破れた服から露出した肌は瞬く間に赤く染まっていく。それを認識した直後に己は気を失ってしまい、目覚めたときにはもうリリアが事切れた後だった。元々白かった肌はさらに青白く生気を全く感じさせずに、それでいて身体から滴り落ち地面に広がっていく血は目を引くほどの鮮やかな赤色をしていた。脳が目の前の光景を理解するよりも早く本能が答えを出してしまう。己が、リリアを殺したのだと。
そのときの衝撃を、感情をなんと言えば良いのか。後悔、絶望、悲しみ、血の気が引くという言葉を初めて体験し、感情が渋滞して胃液がせり上がってくるような不快感に冷や汗が止まらなかった。魔法が使えない無力感にただただ立ち尽くすしか出来ず、セベクやシルバーの慟哭が耳に残る。死んでしまいたいとさえ思っていたマレウスを救ったのはシルバーの言葉で、それはリリアさえも救う結果となった。
でも決してマレウスが引き起こした出来事がなかったことにはならない。
己が魔法災害特級保持個体に認定されたように、生き返ったとしても一度リリアは心臓を止めたのだ。間違いなくこの手で、守りたかった、愛しているリリアをマレウスは殺した。殺してしまった。
「ぐ、っ、ぅ……」
込み上げてきた吐き気に思わず口元に手を当てる。息を潜めてじっと耐えていると吐き気の波が引き、マレウスは深呼吸をしながら腕を枕にして机に顔を伏せた。頭痛は酷くなる一方で、だけど我慢することしか対処法はない。近頃はリリアが倒れる瞬間を夢でも見てしまい、さらに彼が生き返ることがないという悪夢に変わっていた。そのせいで眠りが浅いものとなり疲れは溜まっていくが、この程度ではマレウスの罪は償えないのだから甘んじて受け入れていた。
ふー、ふー、と痛みを逃すために息を吐き、吸う。数十分後、次第に引いていく痛みにマレウスは顔を上げてゆっくりと目を開ける。
「ばあ!」
「!!!」
瞳を開けたマレウスの視界に突如現れたのは逆さま姿のリリアで、思いも寄らなかった、いるはずのない人物にマレウスは思いっきり仰け反る。がたん! と椅子が床を擦る音を大きく響かせながらそのまま後ろに倒れそうになるマレウスをリリアが慌てて引っ張り、なんとか体勢を立て直す。
「お主、慌てすぎじゃ」
リリアはくすくすと笑いながら掴んでいたマレウスの腕を離し、くるりと回って机の上に腰を落とした。行儀が悪いぞなどと窘める余裕がマレウスにはなく、早鐘を打っている心臓を宥めるように手で胸を押さえる。
リリアが現れた気配に全く気づかなかったのは己がかけた防音魔法のせいもあるだろうが、彼が力を取り戻したことも理由の一つだろう。その証拠にリリアの魔力残滓が部屋のなかに浮遊し、やがて霧散するように消えていく。またマレウス自身角が折れたことで力が弱まっていることも影響しているのかもしれない。
「リ、リリア、どうしてここに……」
「んー、そうだのう……」
未だ驚きが抜けていないマレウスを尻目にリリアはゆったりとした動作で手を伸ばし、こちらの目の下を親指でなぞる。小さく眉を寄せたリリアにマレウスは心の中で自身のしくじりを悟った。寝不足のせいで目の下には隈が出来ておりコンシーラーで隠しているが拭われてしまえば明るみに出てしまう。
手を伸ばされたときになにかしら理由をつけて避ければ良かったと後悔してももう遅く、リリアは「いつからじゃ」とカーマイン色の瞳で真っすぐにマレウスを見つめる。誤魔化しは効かないのだろう、マレウスは大人しく学園に戻ってから数日後には、と答えた。
返答を受けてリリアは小さな目を大きく見開き、それから肩を竦めてやれやれとばかりに首を小さく横に振る。
「もう一か月近くになるじゃろうて、この我慢強さは誰に似たのか……」
「……お前だろう」
休めていないことがばれてしまってばつが悪く、マレウスはリリアから顔を背けつつ呟いた。そのときに苦し紛れの言葉を放つが案外的を射ていると思う。なんといってもマレウスはリリアの魔力で孵って育てられたのだから彼に似るのは当たり前のことだ。
我慢強いという言葉に思い当たる節があるのかリリアは視線を彷徨わせて頬を掻く。ごほん、とわざとらしい咳払いをしてからリリアはまるでウサギのごとくぴょんと跳ねるように机から降りた。隣に立ったリリアに席を立つよう言われ、その後は手を引かれながらベッドまで連れていかれる。
「ほれ、マレウスも座らんか」
すでにベッドの上に座っているリリアは寝具を軽く叩きつつ立ち尽くしている己を呼ぶ。こういったときリリアは断固として我を通そうとするため最初から従った方が良いとマレウスは大人しくベッドフレームに腰を下ろした。リリアのマジカルペンが光り、次の瞬間には二人ともルームウェアに身を包む。
着替えたところでどうせ眠れやしないのに、と気が重くなっていたがリリアは寝るぞなどとは口にしなかった。その代わりに肩を寄り合わせ、マレウスの後頭部に手を添えてゆっくりと撫で始める。リリアのおしゃべりな口は鳴りを潜め、二人の微かな呼吸音だけが空気を震わせていた。
赤子に触れるような優しさでマレウスに触れる手は確かな愛情を感じさせ、肩から伝わるリリアの少し高い体温は彼が生きていると教えてくる。時折リリアの指が髪を軽く梳いてきてそのくすぐったさにほんの少しだけ笑えば彼は見守るような瞳でこちらを見ていた。
「よしよし、マレウスは良い子じゃな~」
「……馬鹿にしているのか?」
「まさか」
鈴を転がした音のようにころころと笑うリリアは空いている手で膝の上にあったマレウスの手に触れる。握っていたこぶしを解くみたいに一本一本丁寧になぞっていくリリアの指によってマレウスの手が徐々に開かれていく。開いた手に指を絡ませてリリアは言葉を紡ぐ。
「わしも昔、眠れないときがあった。そのときよく思ったものじゃ、誰かにこうして傍にいて欲しいと」
「リリア……」
「もちろんマレウスが一人が良いというのならわしは出ていくが、お主は寂しがりやじゃからな。……わしは、それをわかっていたはずだったのに、な」
最後の言葉はほんの小さな呟きだったがマレウスの耳にしっかりと届き、自戒するような物言いに思わずこちらからもリリアの手を握り返す。
「リリアは悪くない」とマレウスは首を振りながら言う。悪いのは全て己の弱さで、リリアを笑って見送ることも素直な気持ちを伝えることさえ怖くて出来なかった。だから、リリアを殺すことになってしまった。
「っ、ぅ、ぁ…………」
頭に痛みが走り呻き声が漏れ出る。マレウス、と心配そうに声をかけてくるリリアのカーマイン色の瞳が血の赤を連想させ、視界が揺れるような感覚に冷や汗が止まらなかった。気持ち悪さを口元を両手で覆うことで耐えるマレウスにリリアは肩を掴んでなにかを喋っているが耳鳴りにかき消されてしまう。
肩を掴む力強さや体温、必死に呼びかけてくる声も一度マレウスが失わせてしまった命そのもの。シルバー、セベク、シュラウド兄弟、彼ら以外にもたくさんの人物と物が一つでも欠けていればリリアは助からなかっただろう。こうしてリリアが生きていると実感するたびに奇跡を信じ、そして己の罪深さを知る。
「ぅ、うぁ、ああ……っ!」
歯を食いしばっても堪えきれない声が喉の奥から零れた。視界が涙で滲み、泣く資格などないと思えば思うほど頬を濡らす雫が止まらない。
「マレウス、お前……」
息を飲むリリアを引き寄せ、骨が砕けるほどの強さで彼を抱きしめた。二人の身体の間には寸分の隙間もつくりたくないとリリアを腕のなかに閉じ込める。
すまない、と零れ落ちた言葉にリリアは動きを止めてしまう。謝罪をしたところで許されることではないが次々と放たれる言葉を止める術をマレウスは持ち合わせていなかった。しゃくり上げながら放つ言葉は聞き取りづらく、無様でみっともない。それでも馬鹿の一つ覚えのようにリリアの名前を呼び、ただひたすらに謝罪を繰り返す。
ごめんなさいと泣きじゃくるマレウスの背中にそっとリリアは手を添える。
「お主は本当に良い子じゃ。……マレウス、顔を見せておくれ」
リリアの肩に顔をうずめながらいやだと首を横に振る。幼子のような動作に情けなさを覚えるがリリアの表情を見るのが怖くてマレウスは顔を上げることが出来なかった。仕方ないのう、とリリアは困ったように、けれども無理強いはせずそのまま抱きしめられた状態で話し始める。
「気づいてやれんですまなかった。嘆きの島や茨の谷ではそんな様子を見せなかったからすっかり安心しきっておったが……。良く一人で耐えていたな、もう大丈夫じゃ」
違う、と声に出したかったがマレウスの口から零れるのは意味の持たない言葉だけで否定することは叶わなかった。マレウスが引き起こした出来事による結果は一人で耐えるべきで、誰かに弱音を吐くことや甘えることも許されるべきではない。ましてや殺してしまった相手になど言語道断であった。
それなのにリリアの顔を見てしまえば、彼に触れられてしまえば必死に耐えていたものがいとも簡単に崩れてしまう。甘えてしまう。狂ってしまうほどに愛している人に縋ってしまうのは、己の弱さのせいだ。
「……マレウス、お主がやってしまったことはこれからお主が背負っていかなければならないものだ。誰かに許されても、許されなくても、一度起こってしまったことはなかったことにはならないからじゃ、それはわかっておるな?」
頷くマレウスの背中に触れていたリリアの手が肩へと滑る。
「その罪を代わりに背負ってやることは出来ぬ。じゃが、一緒に抱えることは出来ると、わしはそう信じている」
リリアは指でマレウスの肩から首筋、頬までゆっくりと優しくなぞり、顔を上に向けるように軽く持ち上げる。強制的に目が合ったリリアはマレウスの予想と反してまるで我が子を見つめる親のように柔らかい眼差しをしていた。
「お主が背負っているものをわしにも抱えさせてくれぬか? お主が一人で苦しまず、悲しい思いに耐えぬように」
「……め、だ……だめだっ! そんなこと、許されるはずがない…っ!!」
「マレウス?」
「だって、僕はっ、お前を、リリアを殺したんだ! 己の弱さで愛する人を殺して、そんなの、っ、許されていいわけがないっ!!」
リリアの慈愛に満ちた表情を見ていられなくてマレウスはぎゅっと瞳を閉じ、衝動のままに言葉を放つ。優しい言葉も触れ合う温かさも今のマレウスには全部過ぎたものだ。一人でいないといけない。リリアにはもう本当の息子がいるのだから。
肩を震わせてただただ泣きじゃくるマレウスに、リリアは告げる。
「許すよ」
「え……」
「お主が自分を許さないと言っても、わしはお主を許すさ」
リリアの言葉が信じられずに思わず目を丸くして呆けた顔をすれば、彼は目を細めて愛しいものを見るように笑っていた。頬に触れていた指がまるでガラス細工を抱えるかのごとくゆるやかに頬を撫で上げる。涙を拭う指先から感じるリリアの体温がマレウスの冷たくなった肌を温めていき、慈しまれているのだと感じた。
「お主の抱えているものを、わしは全て許す」
「ど、どうしてっ! だって僕は、僕は……っ!!」
「そんなの決まっておろう!」
マレウスの慟哭に、リリアは華やかな笑顔を咲かせながら夜明けを報せる明告鳥のように穢れのない響きを持って告げる。
「お主を愛しているからじゃ!」
その言葉に息が止まる。頭のなかが真っ白になり、時が止まったと錯覚するほどにリリアの言葉が信じられなかった。部屋の空気が震え、燭台の炎を一つ消してしまったことにも気づかないままマレウスはリリアの揺るぎない視線に射抜かれる。
魔法をかけられたかのように固まるマレウスにリリアは瞼や頬、額に唇を落としていく。最後に折れた角の断面にキスをしてリリアは子守唄を紡ぐように話し始める。
「お主がわしを殺したことを悔やむことは仕方のないことだ。じゃがな、マレウス。後悔をするなとは言わないが後悔をし続けることは過去に縛られると同義じゃ」
「リリ、ア……でも、僕は……」
「早急に答えを出そうとするのはお主の悪い癖じゃな。少しずつでいい、お主は自分を受け入れて、前に進んで行くべきじゃ。それは生きているものしか出来ないのだから」
鼓動の音を聞かせるようにリリアはマレウスの頭を自身の胸へと抱き寄せる。とくんとくんと一定のリズムを刻むそれに無性に安心感を覚え、マレウスの心を落ち着かせると同時に睡魔が忍び寄ることとなった。今までろくに休んでいなかったせいだろう、気を抜くと閉じそうになる瞼を無理やりに開く。
「おや、マレウスはおねむかのぅ~。このまま寝ても良いのじゃぞ?」
ぐふふと笑うリリアに子ども扱いするなと怒ってみても泣き腫らした顔でなにを言うか、とあしらわれるだけで彼はどこ吹く風だ。背中をトントンとあやされ、本格的に寝かしつけようとするリリアはマレウスにベッドに横になれと言う。
「ほれほれ、寝不足だから悪い方ばかり考えてしまうのじゃ。さっさと横にならんか」
そんな命令のような指示に従う義理もないのだが、疲れて思考がまわっていないマレウスは一度リリアから離れて大人しくベッドに仰向けになる。するとリリアはマレウスの頭を少し持ち上げ、その下に己の太腿を差し込んだ。
「わしの膝枕は貴重じゃぞ? というか、お主の角は膝枕し辛いのう……」
「自分でしたんだろう……」
その返事に小さく笑ったリリアはマレウスの頭を時間をかけながら撫でる。髪の房を一つ一つ確かめるような動作はマレウスの眠りを誘うが、眠りたくないと言うことも出来ずリリアをじっと見つめた。
「なんじゃなんじゃ、わしに見惚れたか? 悩みがあるならこの際全部ぶちまけてしまえ」
「……夢を、見るんだ」
逡巡したのは一瞬だった。言うべきではない、甘えてはいけないという気持ちは確かにあったが、それよりもここまで信頼してくれているリリアに己もまた応えたいと思ったときには口から言葉が出ていた。
「リリアを殺してしまったときの光景が、ずっと夢に出てくるんだ。それから、リリアが目覚めない夢も」
「……そうか。気絶する前にわしがどうなったか、お主は見てしまったんじゃな」
「ああ」と頷いたマレウスの目をリリアの手が覆う。視界が閉ざされ、本格的に睡魔に抗えなくなってきたマレウスは瞳を閉じてリリアの言葉を聞く。
「わしはこうして生きておる、だから安心せい。……それにな、わしは良かったと思っている部分もあるんじゃ」
「……え?」
リリアの言葉に起き上がろうとするマレウスをリリアは制止する。視界は未だにリリアの手で覆われており、彼の表情を見ることは叶わなかった。マレウスにわかるのはリリアの声色からして彼もまた伝えるべきか迷っているということだ。歯切れが悪く、言葉を選んでいるのか少し考えながら伝えられる言葉をマレウスは黙って受け止めていた。
「もちろん、お主がしたことを全て肯定するわけではない。お主がやったことは結果的に誰も死ななかったが他の者の身体や心に傷を負わせたことは決して許されることではない。……じゃがな、あの出来事がなければ、わしはシルバーと本当の親子になることはなかった」
「!」
「セベクの成長を見ることもなく、お主の気持ちを知ることもなかった。遠い地で、わしだけが一人満足をして終えることになっていた。皆のため、と言いながらもわしはお主らに弱みを見せたくないとただ逃げていただけなのかもしれん」
「リリア……」
「だから、マレウス。きっと、全部必要なことだった。苦しいことや悲しいこと、痛かったことや嬉しかったこと。その罪も幸福も、生きるために必要なことだったんだ」
──ありがとう、マレウス。俺を、助けてくれて。
囁かれた言葉とともにリリアの手が離れていき、開けた視界に映るのは静かに涙を流しながらも微笑む彼の姿だった。その表情に、言葉に、孤独が溶かされていく感覚に襲われ胸の奥が熱く疼く。涙腺が壊れたかと思うほどに涙が止まらなく、しゃくり上げるマレウスの手にリリアが触れる。
未だ全てを許すことは出来ず、許されないと理解している。それでも、きっと少しずつでも変わっていける。許されない罪を背負っていても、繋いだ手を握り返しても良いのだとリリアが教えてくれた。
紬ぐ未来は、きっとこの手のなかにある。リリアの温もりが胸にそっと響き、いつか見ていた未来へともに歩んでいけるのだと信じていけるから。
力強く踏み出して、手を伸ばそう
長い後書きとかは日記にて。
作業用BGM:紬ぐ未来(霜月はるか)