One and One

嘘吐きと七面鳥

 苦しいんだ、リリア。
 部屋に入った途端にそんな言葉を告げ、悲痛な表情を浮かべて立ち尽くすマレウス。リリアはお菓子を食べながらゲームをプレイしていた。もごもごと頬いっぱいに詰め込んでいた菓子を咀嚼し、首を傾げる。
「病気にでもなったのか?」
「違う」
「では、どこか怪我でもしたか?」
 その問いもマレウスは否定し、俯きながら自らの胸元を押さえた。苦しいんだ、ともう一度ぽつりと零れた言葉にリリアは手慣れた手つきでゲームをログアウトし、シャットダウンする。扉の前から動かないでいるマレウスの元へ足を動かし、後ろで手を組みながら下から覗き込む。そこから見えたのは泣きそうに顔を歪めているマレウスの姿だった。
「……どうした?」
 流石にただ事ではないとリリアは真面目に話を聞く態度を取る。そんなリリアをマレウスはすっぽりと覆うように抱きしめ、喉の奥から声を絞り出すかのように囁く。
「……リリアが、傍にいないと苦しい。リリアが、僕以外を見ていると胸が痛む。リリアが、誰かと話しているのを見ているだけで嫉妬してしまう。リリアが……リリアを好きすぎて苦しいんだ……殺したいほどに、好きだ」
 子どもが親に向ける言葉としては重く、愛の言葉としては物騒なそれにリリアはマレウスの腕の中で目を見開く。リリアの驚きに気づいていないのかマレウスはひたすらにただ独りよがりの言葉を放っている。その言葉の節々はリリアの心をタールのように黒く染め、鉛のごとく重くのしかかった。
 マレウスを振り払うことは簡単だ。向ける感情が間違っていると伝えることも、魔法で消すことさえも。
「……なら、わしを監禁すれば良い。お主だけの鳥籠に閉じ込めてしまえば良かろう?」
 けれど、リリアはそうしなかった。
 無意識のうちに口から出た言葉に本人さえも驚いたのだから向けられたマレウスはさぞ衝撃を受けただろう。その証拠に抱きしめていた腕の力が抜け、リリアはいとも簡単に拘束から抜け出すことが出来た。身体は本能のままに動き、リリアはマレウスの頬に両手を添えて額同士を合わせる。
「お主が望むなら、わしは構わん。……どうする、マレウス」
「……僕は……」
 わかりきっている答えを聞くのは意地が悪いのだろうか。だが、リリアはマレウスの口から聞きたかった。自分をどうしたいのか、二人でどうなりたいのか。
 なぜならそれは、リリアの望みでもあったのだから。
「……僕だけのリリアになってくれるか……?」
 期待と興奮が隠しきれず小さく震えながら尋ねてくるマレウスにリリアは微笑み、額に口づけを落とした。安心したように名前を呼びながら再び抱きしめてくるマレウスにリリアは目を細め唇で弧を描く。
 マレウスは自分を鳥籠に閉じ込めた気になっているが、それは逆でリリアがマレウスを鳥籠に閉じ込めたのだ。
 なんて可哀想な子なのだろうか。監禁したからといって不安が消えるはずがない。寧ろますます不安は強くなるだろう。どこにも行かないか、逃げ出さないか。誰かに助けを求めないか、話さないか。誰かに奪われないか、と四六時中自分のことを考える羽目になるはずだ。毎日、毎分、毎秒自分のことを想い、考えるだろう。だがそんな不安に駆られたらたっぷりと甘やかし、底なし沼のように身動き取れないようにしてやろう。リリアの独占欲、愛という名の底なし沼に気づいたとしてももう逃がしはしない。
 飼い慣らされた鳥は鳥籠でしか生きられない。マレウスもまた、リリアの傍から離れて生きることは出来ないだろう。
 二人だけの鳥籠を思い浮かべて、リリアは小さく笑みを零したのだった。

睡む景色と君の夢

 鏡の間のバルコニーにある手すりに座りながらリリアは星空を見ていた。リリアでさえ届かない空にある命のきらめき。それを見つめながら、背後から近づいてくる靴音に頬を緩めた。
「リリア」
 予想していた人物の声にリリアは振り向き、名を呼ぶ。呼びかけた人物であるマレウスはリリアの隣まで歩を進め、手すりに肘をついた。
「こんなところで何をしていたんだ?」
「ふふ、星を見ていただけじゃ」
 ほれ、とリリアは指を空に向ける。その動きにつれられるようにマレウスも視線をこちらから空へと移し、夜空に輝く星々に感嘆の声を上げた。
「綺麗だな」
「今日はどうしても星が見たくてのう、ディアソムニア寮からではよく見えないからな」
「そうだな……。ふふ、こうしていると熱砂の国で見た星空を思い出す」
「わしもじゃ。お主が楽しそうに話すのを聞いて、いてもたってもいられなくなってしまった」
 リリアは先ほどまでディアソムニア寮の談話室で興奮したように土産話を語るマレウスを思い返し小さく笑みを零す。
 初めて乗った車や孔雀を形取った噴水。夜空に咲く大輪の花や生き生きとした、その土地に住む人間の話をキラキラと目を輝かせて語るマレウスにリリアはただただ穏やかに微笑んでいた。あんなに楽しそうに言葉が続くマレウスは久しぶりに見たような気がする。
 そして、熱砂の国はリリアが昔訪れたときとは随分と様子が違っていたようで、昔の日々を生きることに精一杯だった人々が頭の中で思い浮かぶ。観光地になるなど誰も予想していなかっただろう、あの頃の人間たち。けれど確かに彼らが心に描いていた夢は受け継がれているのだとリリアは嬉しくてたまらなかった。そう自覚してしまうと昔あの国で見たように星を見たくなってしまった。
 手すりを掴んでいた手にマレウスの手が重なる。星空から視線を移せばマレウスはじっとこちらを見ており、リリアはそっと瞼を伏せた。近づいてくる気配を感じた直後、唇に触れるだけのキスを落とされる。
「……腹痛は嘘だったんだな」
「ふふ、さあのう。治っただけかもしれんぞ?」
 目を開ければマレウスは咎めるようにリリアを見つめ、それから小さくため息を吐いた。
「ありがとう、リリア。友人と旅行など、ましてや護衛がいないなんて初めての経験だった」
「わしはただ腹痛で休んだだけで礼を言われることなどしておらんよ。じゃがまあ、お主が楽しかったのなら良かった」
「……ああ、本当に、楽しかった」
 噛みしめるように囁いたマレウスはふいに顔を逸らし星空を見上げる。重なっている手の力が強くなったような気がしてリリアは彼から視線を逸らせなかった。
「きっともう二度とこんな経験は出来ない、王になれば自由に出歩けなくなってしまうからな。リリアがいないのは不安だったが、それでも楽しかったんだ。ダイヤモンドやクローバー、それにアジームたちはとても良くしてくれた。……ただの友人として接してくれたんだ」
「……そうか」
「本当にありがとう、リリア」
 そう言ってリリアに視線を戻したマレウスの瞳は微かに潤んでいる。友人との旅行は良い思い出になったと同時に、マレウスに王としての責務を自覚させたのかもしれない。リリアは胸が締めつけられ、それでもそれはおくびにも出さずに微笑む。重なる手に指を絡め、もう片方の手で彼の頬を撫でた。
「もう二度と出来ないなど、そんなことあるわけがなかろう。熱砂の国だけではなく、薔薇の王国や珊瑚の海にも、どこにでも行ける。お主が望むのであれば、わしがその望みを叶えてやる」
 マレウスはゆっくりと瞬きをし、それからリリアの肩へ顔を押しつけた。彼の背中に手を回し、あやすようにぽんぽんと叩く。
「たとえその肩に王という責務を背負っていても、その前にお主はわしの愛しい子じゃ。可愛い我が子の願いを叶えない親などおらぬ、カリムの父親もそうであっただろう?」
「……あれは、度が過ぎていると思う」
「くふふ、端から見ればわしとお主も大概なものじゃと思うがのう」
 そっと離れたマレウスの頬は少しだけ濡れているように見えた。だがリリアはそれを言及せずに頬を指で拭い、互いの額を合わせた。
「もっと聞かせてくれぬか、マレウス。楽しかったこと、感じたことを。そして、これから先どんなことをしたいのか、どこに行きたいのか」
 泣きそうになりながらも笑いながら頷き、ぽつりぽつりと旅の中で感じたことを話し始めるマレウス。満天の星空の下、リリアはそんな彼にただただ寄り添いながら相槌を打つのだった。

元データは2023年と書いてあるがおそらく2021年か2022年に書いたと思われる作品たち。これも当時のTwitterで毎日小話更新の話だった可能性があります
個人的には熱砂の国イベントのお話が好きです。タイトルは全てchicca*様から