One and One

愛情過多で殉死

「んっ、むぅ、ふ、ぁ……っ」
 マレウスはリリアの下唇を己のそれで甘く食み、開いた隙間からぬるりと生温かい舌を入れた。逃げる舌を最初から追いかけることはせずにまずは鋭く尖った犬歯をなぞればリリアの肩が跳ねる。弱点というよりも尖鋭な歯がマレウスの舌を傷つけないか不安なのだろうか、目を瞑ったまま眉を顰めていた。頭を後ろに引き、両手でマレウスの胸板を押しのけようと逃げる素振りを見せたためにリリアの後頭部に手を回して動けないように固定する。
「んんっ、んむっ、っふ……!」
 必然的に深まるキスにリリアの口からは空気が漏れたような声が上がる。随分と熱の籠もったそれはリリアの頬を赤く染め上げていき、白い肌に良く映えていた。
 ほんの少しの悪戯心で、マレウスはリリアの犬歯で自らの舌を傷つける。途端に広がる血の味にリリアは目を開いたようでこちらと視線が絡み合う。見られていたことを察したリリアがさらに羞恥で顔を紅潮させ、薄い水の膜が張った瞳で睨んでくる姿はたまらく愛しい。
 背筋にえも知れぬ感覚が走り、舌から流れる血を塗り込むようにリリアの口内を蹂躙していく。
「んんんっ……!! んっ、んんっ、はっ、ふ、ぅ!」
 リリアがぎゅっと瞼を閉じた拍子に頬に涙が伝う。それもまたマレウスにとっては馳走に見えたが、今夜はこのままキスを続けたい気分だった。
 歯列をなぞり、上顎の形を確かめるように舌先で舐め上げる。それから逃げていたリリアの舌を捕らえた。
 びくり、と震えるリリアに少しだけマレウスは笑いそうになる。もう何度キスや身体を交わらせてもリリアは慣れない様子で、それが余計にマレウスの加虐性を強くしていると知らないのだろうか。
 舌の中央にある少し窪んだところを先端から奥までじっくりとねぶっていく。するとリリアの身体から力が抜け、全身をこちらに預けるようにもたれかかってくる。両手は縋りつくようにマレウスの背に回り、ふーっ、ふーっ、と獣のように呼吸を荒くしていた。
 互いの舌を絡ませ、混ざり合った唾液を流し込む。飲み込めなかった体液はリリアの顎を伝い、服に濃い染みをつくったようだ。舌を擦り合わせた後に舌先をじゅっ、っと音を立てながら吸い上げればリリアの口からくぐもった悲鳴が上がる。
「んんんっっ! はっ、んぅぅ……っっ!!」
 リリアの身体が一際大きく跳ねた。それからリリアが急に目を見開きマレウスを睨み付けたかと思えばこちらの両頬を軽く叩く。一瞬呆けたマレウスの隙をついて拘束から逃げ出したリリアは頬を涙で濡らし、顔を真っ赤に染めたまま口元を両手で押えた。
「ばかもの、キス魔、今度からお主をむっつりスケベと呼んでやる」
「リリア」
「ばか、ばかもの。わしがキスに弱いと知っていて、こんな、こんな……」
 ぼろぼろと涙が止まらないリリアを見て、漸くマレウスは己がやり過ぎたのだと気づく。だが、正直に言ってしまえばキスで感じ入り羞恥に震えているリリアの姿はたまらなくそそるものであった。
「すまない、リリア」
 謝罪と共にリリアを抱き寄せる。そこで抵抗を一切しないリリアは甘いのか、それとも彼もまたこの先を期待しているのかマレウスには判断がつかなかった。どちらにせよマレウスの傲慢とも言える立ち振る舞いを許しているのは、リリア本人だ。
「──だが、気持ち良かっただろう?」
 リリアの耳に直接言葉を吹き込むように彼の耳元で囁く。間髪入れずに肩を震わせるリリアは、ばか! と叫びながらマレウスの胸ぐらを掴んだ勢いそのままに唇を重ねてくる。マレウスの舌に自ら舌を絡ませてくるリリアに自然と口角が上がった。
 一度唇を離し、マレウスは濡れた唇を舌で舐める。
「窒息するまで、愛してやろう」
 熱を孕んだ声にリリアが目を閉じたのを見届けてから、マレウスもまた瞳を閉じて再び唇を重ねたのだった。

えない優しさ

 談話室でリリアを見かけたシルバーは親父殿、と手を上げながら声をかけようとした。その瞬間リリアは恋人であるマレウスの姿を見つけたらしく、シルバーに気づかないまま恋人に駆け寄って耳打ちをする。精一杯のつま先立ちをして相手に触れようとするリリアとそれをしゃがみ受け入れるマレウス。それからどこかへ去ってしまう。二人が恋人になってから頻繁によく見られるようになった光景に、シルバーは上げていた手をそっと戻した。
 シルバーの気配に気づかないほど浮かれている──何やら花が飛んでいるようにも見える──リリアに、ほんの少しの寂しさと親代わりの人物を奪っていったマレウスに微かな嫉妬を覚える。二人が恋人になった喜びは確かにあるはずなのに、言い表せない感情がシルバーの胸中に渦巻いていた。今日は自分の誕生日だが親父殿は覚えているだろうか、と以前なら思わなかったことも考えてしまう。
 リリアはよくシルバーやセベク、マレウスの子ども時代の話をする。そのたびに子ども離れが出来ぬと言っていたが実際は逆で、自分の方が親離れ出来ていないのだと気づいてしまった。寂しいという気持ちが抑えきれない。それはきっと、隣にいるセベクも同様だろう。彼も二人が話しているのを見てしょんぼりと肩を落としている。よく感情が表情に出ていないと言われる自分とは対照的に、セベクは顔に感情が出過ぎていた。
 捨てられた子犬のような表情のセベクに思わず大丈夫かと声をかけながら肩を叩く。はっと我に返ったセベクはまるで敵を見るかのように視線を鋭くし、こちらの手を振り払った。
「ふ、ふん! 貴様に心配される筋合いなどない! 僕は大丈夫だ!」
「……そうか」
 セベクに拒絶され、本格的に寂しくなり振り払われた手をじっと見つめてしまう。自分の居場所がなくなったような気がして少しだけ声が震えた。それにセベクが気づいたのかは不明だが、彼は焦ったように言葉を続ける。
「き、貴様の方こそその元気のなさはなんだ! そんな態度で若様とリリア様を守れるのか! しかも、今日は貴様の……シ、シルバーの誕生日だろう。もっと楽しそうにしたらどうなんだ!?」
「……誕生日を、覚えていたんだな」
「た、偶々だ! 本当に偶々だからな! 勘違いするな!」
 先ほどまで捨てられた子犬のようだったセベクが今度は尻尾を逆立てる猫のように見える。そのころころとした様子の変化に胸中を支配していた寂しさは霧散し、シルバーは小さく笑った。笑うなぁ! と怒るセベクに、シルバーは自分たちをからかうリリアの心情が理解出来た気がした。
 じとりと睨みながら「シルバーに笑われるなど屈辱だ」とそっぽを向くセベクをなだめながらシルバーはお詫びとばかりについさっきまで考えていたことを吐露する。
 寂しいという気持ちが止められないこと。親離れをしなければいけないのにまだまだ出来そうにないこと。セベクなら同じ気持ちを分け合えると信じて、シルバーは言葉を続けた。
 心情を聞き終えたセベクは俯き、それからぽつりぽつりと語り出した。
「……僕も、少しだけ寂しい……」
 一端言葉を止めたセベクはそれでも、と俯いていた顔を上げ、真っ直ぐな瞳でシルバーを見つめる。その表情には一点の曇りさえない。思わず息を飲んだシルバーに気づかないまま、セベクは口を開いた。
「それでも、その寂しさよりももっとずっと、若様とリリア様の幸せを祝う気持ちの方が強い。お二人が楽しそうに微笑んでいるのを見るたびに、僕もとても幸せな気持ちになるんだ」
「セベク……」
「シルバーもそうだろう?」
「……ああ、そうだな」
 自分には滅多なことでは見せないセベクの満面の笑顔を見ながら、シルバーは頷く。
 寂しさも嫉妬も、一生付きまとうのだろう。ときには爆発して相手を困らせるかもしれない。自分一人では抱えきれなくなり、今回のように弱音を吐いてしまうかもしれない。だが、そのたびに幸せそうな二人の顔を思い出すのだろう、とシルバーは思う。
 自分をここまで育て慈しんでくれた大好きな人たち。そして、その二人の幸せを守るためにシルバーは剣を取ったのだと、この道を歩むことを決めた日を思い返した。
 燻っていた負の感情が消えうせ、シルバーもまた頬を緩めた。大事なことを思い出させてくれたセベクにシルバーは礼を言う。礼を受けたセベクは一度きょとんとし、それから照れ隠しのように声を荒げた。
「そ、それに、先ほど貴様はリリア様が誕生日と言うことを覚えてないかもしれないと言ったが、不敬にもほどがある! リリア様が覚えてないわけないだろう!」
「は?」
 シルバーが疑問の声を上げたと同時に、ここにいないはずのリリアの焦ったような声が耳に届く。
「こら~~~~! 言ってはならぬと言ったじゃろ! せっかくのサプライズが台無しじゃ!!」
 声の聞こえた方向──後ろを勢いよく振り返ればそこには去って行った二人が立っていた。リリアの手にはクラッカー、マレウスはホールケーキが乗った大皿を持っている。あまりにも似つかないその光景にシルバーの脳は思考を停止する。口からは意味のない母音しか零れず、そんな自分を二人は談話室のソファーに座るよう指示した。
 言われるがまま腰をかければテーブルに大皿が置かれ、クラッカーが鳴らされる。
「誕生日おめでとう、シルバー」
 主君の言葉にさえ上手く返事が出来ない。困惑したようにリリアの顔を見たシルバーは、相手の顔に浮かんでいる表情に言葉を失った。喉が張りついているかのように声が出てこず、じわじわと視界が涙で滲み始めていく。
 リリアの表情は、恋人であるマレウスに向けるのと同じくらい──もしかしたらそれよりも、もっとずっと愛おしさに溢れたものだった。幼いころは大きいと感じた、けれどいつの間にか自分よりも小さくなってしまったリリアの手が頭を撫でる。
「マレウスと恋仲になったとしても、お主が……いいや、お主だけではない。セベクもシルバーもわしの大切な家族ということは一生変わらん。子どもは子どもらしく親に甘えて良いのじゃぞ。寂しいなら寂しいと言ってもわしらは怒らん。マレウスもわしも、お主らを愛しておるのじゃから」
「逆に甘えてくれないとリリアが寂しがる。つい最近もシルバーやセベクの親離れがいやじゃ~とわめいていた」
「こらっ、マレウス! 余計なことを言うでない! わしの威厳がなくなるじゃろ!」
「若様、リリア様……っ!」
 感激に打ち震えているセベクをマレウスが撫でる。撫でられた本人は顔を真っ赤にし、緊張と嬉しさですっかり固まったまま助けを求めるようにこちらを見つめてきた。が、シルバーは胸がいっぱいで上手く喋れず、涙がぼろぼろと流れて止まらない。
 そんな二人の様子を見て、マレウスとリリアは穏やかに笑うのだった。

タイトルはchicca*様と秋桜様から。シルバー誕生日話は2021年の作品です。古すぎ…