One and One

胸の内は、秘密

 たとえ聖なる夜だとしても、誰しもが楽しい気分になる訳ではない。サンタクロースが仕事を終わらせてくれるものでもなく、アルベールの眼前には大量に書類の山が積み上がっていた。クリスマスでも国の中枢に携わる以上休暇など存在せず、ただひたすら書類に目を通し捺印を繰り返す。
 食事もほどほどに済ませて適度に休憩を取っていれば時計の針は既に深夜を指していた。一度ペンを置き、腕を上に伸ばして肩を解す。それから長く息を吐くが、そのときに無意識に洩れた声にはっとする。こうした意識せずに出てしまう声がおじさんくさいと言われる要因なのだろう。治したいと思うが身体に染みついた癖は中々に抜けてくれない。
 昔は簡単に出来たことが難しくなっている自分はやはりおじさんなのだろうかと多少ショックを受けているアルベールの耳にノックの音が届く。
 アルベール、と扉をノックしながら名を呼ぶ人物の声を聞き間違えるはずもない。疲労もどこへやら、すぐさま立ち上がり部屋へと招き入れる。
「ユリウス!」
 葡萄酒を片手に抱える親友──ユリウスは部屋に入った途端に目についた山積みになっている書類に眉を顰めた。机にお酒を置き、一番上の書類を手に取る。
「これは、親友殿がやるような仕事ではないだろう?」
 ひらひらと書類を弄ぶユリウスにアルベールは苦笑いを浮かべた。確かに、書類は騎士団長が承認しなくてはいけないようなものではない。副団長であるマイム、もしかしたら団員でも処理出来るような内容であった。実は書類の山はそういったものが大半を占めており、アルベール自身が目を通さなくてはいけない機密事項はほんの数枚しかない。
 アルベールは先ほどまで腰を下ろしていた場所に戻り、再びペンを握りながら言う。
「折角のクリスマスなんだ。俺はともかく、他の皆には休んでもらいたいと思ってな。マイムに無理を言って仕事を回してもらったんだ」
 ユリウスはため息を吐き、書類の山を一つ抱えた。焦ったようにユリウスの行動を制止するアルベールに彼はいつもと変わらない口調で、だが少しの甘さを含みながら言葉を放つ。
「親友殿だけじゃ日付が変わっても終わらないだろう? 折角のクリスマスなのは君も一緒なのだから休むべきだと思うがね。これは、部下としてではなく君の恋人としての意見だ」
 恋人。ユリウスの言葉にアルベールは詰り、それから大人しく首を縦に振った。頬に熱が集まっていたのはバレたのだろうか。ユリウスはふっと穏やかに笑いながらセンターテーブルに書類を持っていきソファに腰を下ろした。それからは真剣な表情で書類に目を通し仕分けしていく。その様子を見たアルベールもまた自分の仕事に取りかかるのだった。
 だが、どうにも集中出来ない。それは自室に自分以外がいるからだろうか。それとも、先ほどの言葉がまだ頭に残っているからかも知れない。
 ユリウスから恋人と呼ばれることにまだ羞恥心を隠せない。自らユリウスを恋人と公言するのは難しくはなかった。立場を考えないことを許されるのならば堂々と紹介するだろう。それは、アルベールが誰よりもユリウスを愛しているという紛れもない事実だからだ。その想いを誇ることはあっても恥じることはないと胸を張って言える。
 ユリウスに言われることが慣れないのは、自身の気持ちが大きすぎるせいだ。同じようにユリウスが自身を想ってくれていること。それがまだ現実感がない。
 過去の出来事──あの事件でアルベールはユリウスと文字通り命がけの戦いを行った。運が良く二人とも生き残ったがどちらかが死んでもおかしくはなかったあの戦い。星晶獣で感情が肥大化されていたとはいえ、ユリウスがアルベールを恨んでいたのは事実だ。戦いの後、きっとわかり合えると信じていたが遺恨は残るのだろうとも考えていたのに、結果として恋人同士になっている。
 自分が最後までユリウスを信じていればあの悲劇は起きなかった。ユリウスが父親を殺すこともなかったのだ。好きだと告げられたとき、ただ歓喜に溢れていた自分を思い出してしまう度に自身が酷く卑しい人間に思える。
 だから、ほんの少し。ほんの少しだけ、アルベールはユリウスと恋人同士ということをまだ信じられないでいた。何度身体を繋げたとしても、互いに愛を囁いていても、過去の出来事がアルベールの頭をよぎってしまう。自分にとって都合の良い夢を見ているのではないか、と考えてしまうことさえあった。時折、現実が壊れる夢を見て飛び起きるように目覚めることもある。
 こんなことを考えているなどユリウスに告げることは出来ない。相手を愛しすぎて不安に駆られているなど、言えるはずもなかった。
「……親友殿、手が止まっているが?」
「あ、ああ。すまない」
 ユリウスに言われ動きが止まっていたのを自覚したアルベールは、思考を切り替えて書類に向き直る。
 だから、その様子をユリウスが目を細めて見ていたことに気づかなかった。

 書類の山が片付いたとき、既に時計の針は日付を超えていてアルベールのクリスマスは仕事で終わってしまった。つまりそれは手伝ってくれたユリウスも同様ということであり、手土産として置かれた葡萄酒は常温となってしまっている。おそらく聖夜なので恋人として過ごそうと考えていてくれたのだろう。無下にしてしまった罪悪感でアルベールが心を痛めていると、ユリウスはソファから立ち上がりきっちりと角を揃えた書類を手渡してきた。
「これで最後だ。お疲れ様、親友殿」
「ああ、ありがとう。助かった」
「それじゃあ、私はこれで失礼する」
 その言葉にアルベールは思わずえっ、という声を上げてしまう。声が出てしまった自分に驚きつつ、ユリウスに視線を向ければ彼も同じように目をぱちくりさせていた。
 無意識に引き留めるなど、これではまるでもっと一緒にいたいと言っているかのようだ。ユリウスにも明日──といっても日付が変わったため今日だが──の予定があるというのに、相手のことを思いやれないなど恋人どころか親友失格である。
「ち、違うんだユリウス! そ、その……そう、そうだ! この葡萄酒は持って帰らないのか?」
 アルベールの苦し紛れの誤魔化しにユリウスは長いため息を吐き、やれやれといったような顔をした。それから長く角張った指をアルベールの顎にかける。そのままアルベールの顔を上げさせ、視線が合う。自分のものではない熱を感じたアルベールの身体は抵抗を忘れ、縫い付けられたようにその場で固まってしまった。
「……アルベール、私が気づかないとでも思っているのか?」
「なにを……」
「君は、私に不安を抱いているだろう? 何度抱いても、愛していると言っても、まだ信じ切れていない。知っているかい、親友殿。君は時折泣きそうな表情で私を見る。それは必ず愛を伝えているときだ」
 言葉が出てこなかった。気づかれていたことによる驚きではない。ユリウスが勘違いしていることに対してだ。信じ切れていないのは、アルベール自身の弱さだというのに、泣きそうに笑う表情を浮かべてしまうほどにユリウスを悲しませている。
「……だから、本当はここへは伝えたいことがあって来たんだ」
 まさか、仕事をしているなんて思わなかったがね。そう言葉を続けたユリウスは戯けているがその瞳は真剣そのもので、真っ直ぐにアルベールを射貫いていた。
 一瞬不吉な予想が頭に浮かぶが、それは杞憂に過ぎなかった。なぜなら、アルベールの唇はユリウスのそれで塞がれたのだから。
 触れるだけの口づけ。児戯にも等しいそれはすぐに離れてしまう。けれど、相手がユリウスというだけでアルベールの心は満たされ、幸福を感じさせる。
 互いの吐息がかかる距離で、ユリウスは言った。
「君が私を信じ切れないのが無理もないとわかっている。だから、君に信じてもらえるまで……いや、信じてもらえたその後も私は君の傍にいたい」
 ──想うことを許して欲しい。
 ユリウスの言葉に、アルベールは胸が痛いほど締めつけられる。許すもなにもない。それは、アルベールの望みでもある。
 ユリウスと共にいたい。想うことを許して欲しい。それらはアルベールがずっと抱えていた不安の原因だ。過去の事件を引き起こした要因である自分がそんなことを願うなど許されないと思っていた。その気持ちが膨れ上がり、アルベールはユリウスとの関係を心の底から信じ切れていなかった。
 けれど、望んでも良いのだろうか。ユリウスは自分を許してくれるのだろうか。この不安をユリウスに伝えても、現実は壊れないのだろうか。
 言葉に詰るアルベールに、ユリウスは穏やかに微笑んだ。
「愛している、アルベール」
 その言葉を耳にした瞬間、アルベールは自分の中のわだかまりが氷解していくのを感じた。泣きそうになるのを堪えながら、声を震わせながらアルベールは口を開く。
「俺も、お前を愛している。ずっと傍にいたい。いて欲しい。信じ切れていないのはお前じゃなく、俺自身だ。だけど、それでも、俺はお前が、ユリウスが好きだ。その気持ちに嘘偽りはない」
「ああ」
「好きだ、ユリウス。誰よりも、お前を愛している」
 抱えていた不安を吐露するアルベールにユリウスは黙って耳を傾けている。そのことがどれほど幸せなのか、それはきっとアルベールにしかわからないのだろう。
 けれどそれでいいのだ。起こしてしまった過去を悔やみ、信じ切れない自分の弱さに嘆くよりも、今ここにある現実を信じるとアルベールは決めたのだから。
 心の奥底を打ち明けたアルベールを慰めるように、ユリウスはそっと瞼に唇を落とす。その弾みで涙が一筋、頬を伝った。
 涙を拭うようにユリウスの指が頬に触れる。優しく触れるそれにアルベールはもっとと強請るかのように頬を擦り寄せた。それからどちらからともなく顔を寄せてキスをする。
 先ほどまでの触れ合いとは違い、欲望を感じさえる口づけにアルベールはユリウスの項へ手を回した。寸分の隙もなく重ねた唇に、それでも足りないとばかりに互いに舌を絡ませる。
 唇が離れたとき、互いに呼吸の乱れを感じながらもユリウスはアルベールに囁く。
「君を抱きたい、アルベール」
「俺も、お前に抱いて欲しい」
 もう一度だけ啄むような口づけを交わし、二人は瞳を閉じた。
 そして、その後は二人だけが知っている秘め事。

多分2020年のクリスマス作品…今見ると、すごいなんか…。これの続きを書いた覚えがあるような気がしますが覚えていないです
タイトルはchicca*様から