一段落付いた書類を纏めながらアルベールは長いため息を吐いた。それから腕をぐるりと回し、すっかり凝ってしまった肩を解す。そういう動作がおじさんくさいと親友に言われたりもするのだがこの場にそんなことを口にする人物はいなかった。
親友──ユリウスは数日前から近隣の村に視察に出かけている。以前はその視察にはアルベールも同行することが多かったのだが、ここ最近は別行動を強いられていた。
ユリウスが国に戻ることになったあの一件から、自分たちを見る目が厳しくなったことには流石のアルベールも気づいている。肉体労働が得意ではない親友が視察に行き、騎士団長である自分が書類仕事をしているのもそれが原因だろう。ユリウスが再び反乱を起こしたときに抑制できる人物を手元に置いていきたいという思惑が絡んでいるのだとわからないほど無知ではない。それこそ、前王が亡くなったのは彼の反乱ではないと説明しても評議会がそれで納得出来るような性格ではないことも知っている。
そしてユリウス自身、犯した罪を償うためにとどんな理不尽も受け入れてしまっているのもこうなった要因の一つだ。彼が休んでいるところを約一ヶ月前から見ていない。
確かに、ユリウスの気持ちや評議会の人間の疑念もアルベールは理解出来る。この現状を続けることが良い結果にならないということも、だ。互いに疑心暗鬼のままでは先の一件と同じ結末を迎えてしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。
アルベールはもう二度とユリウスを裏切るような真似や国を傷つけたくはないのだ。
だが、ユリウスが一度決めたことを他人の意見ですぐ変えるような人物ではないことをアルベールは嫌というほど理解している。特に今のように罪の意識に苛まれている状況なら尚更だろう。
どうしたらいいのかと頭を抱えても解決策は浮かばない。仕舞いには頭痛がしてきたアルベールだったが、ふと鼻腔を擽る甘い匂いを感じて扉に視線を向ける。それから数秒遅れたのち、ドアがノックされ開かれた向こう側にはマイムが立っていた。
「失礼します、アルベール団長」
物を抱えたまま部屋の中に入ったマイムは机に淹れ立ての紅茶と綺麗にラッピングをされたジンジャーマンクッキーを置く。その人型のクッキーは頭に魔女が被る帽子や杖などを持っていた。他にもお化けのクッキーがあり、そこでアルベールは今日がハロウィーンだと気づく。
「ありがとう、マイム。これは手作りか?」
「はい、ミイムとメイムと一緒に作りました。……お二人が、そういう気分になれないとはわかっていましたが、それでも今日ぐらいは心安まれば、と……」
「……すまない、マイム。心配をかけたな、ありがとう」
無意識に伸ばした手でマイムを撫でる。その瞬間、彼女は俯いていた顔をばっと上げ、目を見開いてアルベールを見た。そこで意識せず撫でてしまった自分を認識したアルベールが謝罪の言葉を発しようとしたのだが、それよりもマイムの行動の方が早かった。
マイムは頬を真っ赤に染め、何度も同じ言葉を繰り返しながら直角にお辞儀をして部屋から去ってしまう。止める間もない彼女の慌ただしさにアルベールはただただ呆然とし、三時の鳴り響く時計の音で我に返ったのだった。
早く謝罪を、と立ち上がるがせっかく煎れてもらった紅茶が冷めてしまうのは忍びない。少し息を吹きかけて紅茶を飲み干す。クッキーも一つだけ頂戴し部屋を出る。
マイムはどこへ行ったのだろうか。可能性があるのは姉妹の部屋だろう。廊下を駆け足で歩くアルベールは、ふと過去の出来事を思い出していた。
それと同時に、自分がやるべき行為が見えた気がした。その浮かんだ出来事を実行するには十分な時間がある。だが初めての試みのため上手く出来るかどうかはわからず、善は急げとアルベールは立ち上がった。ユリウスが帰宅するまでに完成させる必要があり、教えてもらうためにマイムたち三姉妹を探し、調理場の使用許可も確保しなければならないのだ。
部屋を出て走り出すアルベールは、先ほどまでの険しいものではなくどこかわくわくしたあどけない表情を浮かべているなど、自分でさえ気づいていなかった。
時計の針はあと二時間ほどで日付が変わることを示している。カチカチとただ秒針の音が鳴り響く部屋にアルベールはいた。部屋の持ち主──ユリウスは未だに帰宅していない。トラブルがあったという知らせは届いていないため、純粋に視察に時間がかかっているのだろう。もしくは、また仕事を一人で抱えているかのどちらかだ。
せめて日付が変わる前には帰ってきて欲しい、とアルベールはソファーに座りながら机に置かれたクッキーの山を見つめる。
アルベールが思いついたことは確かに今夜以外でもチャンスはあるだろうが、ハロウィーンという恰好の切っ掛けを逃すわけにはいかないのだ。そうではなくては、あの素直じゃない親友が大人しく自身の意図に乗ってくれるわけがないのだから。
山から一つクッキーを手に取り口に運ぶ。少し焦げている味がするそれに眉間に皺を寄せていれば、がちゃりと扉が開く音がした。
「……なにをしているんだ、親友殿」
「ユリウス! 視察は無事に終わったのか? まあお前のことだから心配はないと思うが」
「当然だろう。……そうではなくて、なぜ君が私の部屋にいるか教えて欲しいのだが?」
「お前を待ってたからに決まっているだろう? 会いたかったぞ、ユリウス!」
その言葉にユリウスは手で顔を覆い、長いため息を吐く。「君のそういうところが……」などと呟きが聞こえたが、訊ねても軽くあしらわれる。
分厚い書類をデスクに置き、ユリウスが椅子に腰を下ろそうとするのをアルベールは止めた。空いている隣のソファーを叩き、横に座るよう求めれば彼は怪訝そうにこちらを見つめてくる。
「アルベール?」
「今日はハロウィーンだぞ、親友殿」
「ああ、そのクッキーの山はそういうことだったのか……。すまないが、そんなことをしている余裕は、」
「ユリウス」
アルベールはただ一言、ユリウスの名を呼ぶ。それだけで彼はこちらがふざけているわけではないと気づいたのだろう、大人しく隣に腰を下ろした。
どことなく焦げ跡が付いているクッキーをユリウスに渡し、食べるよう進めれば彼は素直に口に入れる。「……焦げている」と呟かれた感想に、アルベールは苦笑いを浮かべた。
「初めて作ったお菓子だからな。すまない、これでも食べられるものを厳選したつもりだ」
「君が作ったのか?」
信じられないものを見るような瞳で見つめてくるユリウスだが、アルベールとて料理ぐらいは出来るのだ。ただ、三姉妹が率先して動くことと、自身の料理の味が大雑把すぎると常に言われるだけで彼のように食べた後に正気を失うようなものを作った覚えはない。
クッキーを咀嚼する音が響く。ユリウスはこちらの意図をはかりかねているのだろう、なにも言わなかった。それでも次々と渡されるクッキーに嫌気がさしたのか、堪えかねた彼が口を開く。
「それで、今日がハロウィーンだからこれほどのお菓子を用意したのかい」
「それもあるが……。なあ、ユリウス。覚えているか? 俺がまだ騎士団長に就任して日が浅かったときの頃の話だ。みんなで視察に行ったことがあっただろう?」
「……ああ」
「あのときの俺は、常に万全を期すためにずっと気を張っていて自分が仏頂面だったことにも気づいていなかった」
「そんなこともあったな」
「そのとき、お前は俺の緊張を解すためにパンを渡してくれたな。あの研究室で作った、実験料理を」
「失礼だな。あれは私のれっきとした研究の成果さ。現に、美味しかっただろう?」
「それまでの実績がな。……だから、俺も同じことが出来ないかと思ったんだ」
アルベールはそっとユリウスの両頬へ手を添える。それから揉みほぐし口角を上げるよう口の端に指を当てた。
「最近のユリウスはずっと仏頂面をしている。あんなことがあったんだ、気負うなとは言わない。だが、一人で抱え込まないでくれ。お前には俺がいる。昔からお前がそうしてくれていたように、俺もお前を支えたいんだ」
「アルベール……」
ぱっと両手を離したアルベールは照れくさそうに自分の頬を掻いた。それから誤魔化すようにクッキーを手に取り、食べようとする。が、その指をユリウスが掴んだ。そのまま彼の口元に引っ張られ、クッキーを掴んでいる指ごと口に含まれる。
「!? ユ、ユリウス……!?!」
「どうしたんだい、親友殿」
「え、いや、今、お前……」
「ふふ、ただの悪戯だよ。今日はハロウィーンなんだろう?」
「そ、そうか……悪戯か……。いや、そうだとしたら悪戯するのは俺の方じゃないのか?」
「なるほど、親友殿は悪戯がしたいと。では存分に悪戯したまえ」
「なんでお前が偉そうなんだ……?」
悪戯される立場のユリウスはなぜか偉そうで、そもそも自分は悪戯をするためにお菓子を用意したわけではない。だが久し振りに楽しそうに笑う親友を見て、アルベールもまた子どものように笑ったのだった。
多分2020年のハロウィン作品…今見ると、すごいなんか…。このときはユリウスの片思い作品が多かった気がします
2020年に書いた作品はなにかと私の羞恥心が見え隠れしていてあまり見直すことが出来ません。タイトルはchicca*様から