真剣な表情で、アルベールの両手を握っている手を微かに震わせながら、ユリウスは重い口を開いた。
──二人の関係を、公言することは出来ない、と。
それは二人が想いを通じ合わせ、恋人になる直前での言葉だった。それを聞いてアルベールはなるほどと思う。
確かに雷迅卿の騎士団長と対策本部室長が恋仲では癒着を疑われるかもしれない。いくら二人が昔からの親友だと大多数の人が知っていたとしても、王が死んだときには同時に姿を消したという過去もあるため疑いの目を向けられるのは当然のことだ。
「それでも、君は私の隣にいてくれるかい?」
罰を糾弾される罪人のごとく悲痛な面持ちを見せるユリウスにアルベールが告げる言葉はたった一つしか持ち合わせていない。
震えている手に指を絡ませながらユリウスの視線を真っ直ぐに受け止め、口を開く。
「当然だ、お前の隣で歩むことが出来るならそんなこと障害にもならないさ。誰にも祝福されなくても構わない、お前がいてくれるならそれだけで充分すぎるほどの幸福だ」
嘘偽りないアルベールの本心を告げるとユリウスは瞼を一度だけ震わせ、それから目を細めて微笑む。穏やかな、けれどもどこか陰りが見え隠れする微笑みにアルベールは思わずユリウスの両頬へ手を伸ばす。あの事件で一番傷ついたユリウスの心を癒やしてあげたいという無意識の行動で、それを受けた彼は少し驚いた表情をした後にアルベールの腰に手を回した。互いの鼓動が聞こえるほど密着した身体にアルベールが呆然としているとユリウスの髪が頬や首筋を撫でる。
ユリウス、と小さく零した言葉が彼の口へ吸い込まれ、消えていく。
それが、アルベールにとって生まれて初めてのキスだった。
それから二人の日常が大きく変わったかと言われればそんなことはなく、ときおり二人きりの時間で触れ合うことが増えただけで普段は復興作業に多忙な毎日だ。視察と会議などに追われすれ違う日々も少なくはない。それでもアルベールの心は満たされており、僅かな邂逅に幸せを感じていた。閨での行為にはまだ恥じらいが残るものの、直接感じるユリウスの熱にとてつもなく幸福を感じるのも心地よいものであった。
また、恋仲だと隠しているといっても二人がそういった仲だと勘づく人物というのは存在する。マイムたち三姉妹がその筆頭で、彼女たちは涙を流しながら祝福してくれた。わんわんと泣きながら三人はアルベールとユリウスを抱きしめ、何度も「良かったです」「幸せになって下さい」と口を揃える。
全身で喜んでくれている三姉妹に呆気にとられたのもほどほどに、二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべつつ彼女たちを抱きしめ返した。アルベールにとっては信頼の置ける腹心たちに心の底から祝ってもらえるのが嬉しく、ユリウスにとっては自分の犯した罪を知ってもなおこうして幸せを願ってもらえるのがまるで嘘のように果報な出来事だったのだろう。五人で抱き合いながら涙を流す様子はきっと端から見ればぎょっとするような光景だったに違いない。
そしてグランサイファーの仲間たちには二人の名前で手紙を送り、感謝の言葉と共に恋人になったことを伝えた。彼らなら誰かに言いふらす心配もないだろうし、伝えることがあの事件で尽力してくれたことへの誠意だと考えたからだ。
グランサイファーの面々からは祝福の言葉と共に小さな花束が贈られ、その花束は現在アルベールの部屋に飾られている。ユリウスが「私には可愛すぎる」と言ったように色鮮やかな可憐な花たちを全体的にピンクで纏めた花束は間違いなくジータとルリアが選んだものだろう。枯れる前にドライフラワーにしようとアルベールは心に決めている。
本来であれば互いに罪を背負った二人が結ばれることはきっと許されないことで、自分たちが犯したことの大きさを一生忘れることはない。だが、こうしてアルベールとユリウスの関係を自分のことのように喜び、祝福してくれる仲間がいる。それだけで二人には充分すぎるほどの救いだった。
そうだというのに、アルベールは今、鏡に映る自分の姿に泣きそうになっている。
「アルベールさん綺麗! ね、ルリアもそう思うよね!」
「はい! とっても綺麗ですよ、アルベールさん!」
鏡の端に見えるジータとルリアはきらきらと瞳を輝かせながらアルベールを褒め称えている。女の子らしくきゃあきゃあと明るく楽しそうに手と手を取り合ってはしゃぐ二人をコルワが「こら、髪が乱れるでしょ!」と優しく叱っていた。その最中でも彼女の視線はアルベールの服装に向けられていて、白い指が軽やかに純白の衣装を着飾っていく。
身体に残る傷跡を隠すようにレースのベルスリーブで肌の露出を抑え、マーメイドラインのドレスは高級感溢れるハリと独特の光沢を醸し出す生地のおかけで甘さと気品が程よく調和していた。ドレスに刺繍がないかわりなのか、ベールは美しい細やかな刺繍が施されたものがアルベールにかぶされている。どこからどう見ても、アルベールが身に纏った衣装はウェディングドレスだった。
現状への困惑と憧れがあった衣装を着られたことによる喜びで上手く頭が働かず、口を開けば同時に涙が零れそうでアルベールは思わず俯く。
「ダメだよ、アルベールさん。花嫁さんは笑顔じゃなきゃ、そうでしょう?」
「そうですよ、アルベールさんには笑顔が似合います!!」
蒼を基調としたドレスのルリアと対のデザインなピンクのドレスで着飾ったジータがアルベールの左右からそっと背中を撫でる。
「出来たわ! これでもう完璧な幸せな花嫁よ!」とコルワは一仕事終えたようで額の汗を拭いながらアルベールの傍から離れた。部屋の片隅に置いてある箱を開け中にある物を取り出し、ルリアに手渡す。大ぶりな真っ白な花だけで束ねられたブーケは流れるような縦長のラインを描いてその気品さと存在感を見せつけていた。キャスケードブーケを受け取ったルリアはどこか緊張した面持ちでアルベールの前に立つ。
「……私、アルベールさんとユリウスさんには幸せになって欲しいんです。あ、お二人が幸せじゃないとかは思っていません! でも、その、上手く言えないんですけど……」
肩を震わせるルリアにジータは寄り添い、彼女と一緒にブーケを掴んだ。その力強さにはっとしたようにルリアはジータを見つめ、それから深く息を吸う。
「昔、本で幸せな結婚式のお話を読みました。そのときの私にはまだピンと来なかったんですが、グランを好きになって、グランと恋人になった今は少しだけ花嫁さんの気持ちがわかったんです。結婚式は、きっとこれからを頑張るための大事な誓いなんだって」
「これからを……」
「はい! ……アルベールさんとユリウスさんはこれからも私なんかじゃ力になれない困難なことに立ち向かっていくんですよね。私たちはいつでもお二人の力になりたいけど、でも、きっと出来ないこともいっぱいあるんだって知っています。そのときお二人が今日のことを思い出して力になれると良いなって思ったんです」
「アルベールさん、忘れないで。私たちがいつでも二人の幸せを願っていること、どんなときだって私たちは二人の味方だよ」
ジータとルリアはアルベールにブーケを差し出す。身体を震わせながら受け取ったアルベールの瞳から一筋の涙が零れ、二人は穏やかに笑いつつ頬にハンカチを当てた。
アルベールは二人を抱きしめたかったがブーケを持っている身ではそれは叶わず、代わりに満面の笑顔で応える。そして、万感の想いを込めて「ありがとう」と感謝の言葉を述べた。
その直後、扉をノックする音が耳に届く。はいはーい、とコルワが扉を開けてノックした人物を招き入れた。
「わあ、アルベールさんとても綺麗ですよ。コルワさん、ありがとうございました」
「ふふ、任せてちょうだい。それじゃあ、後はよろしくね」
現れたグランと入れ替わりに振り部屋を出ようとするコルワにアルベールは慌てて頭を下げる。ベールが取れないよう会釈程度しか出来なかったがコルワは気を悪くした様子はなく、上機嫌で「お幸せに」とウインクをしながら去って行った。
「それじゃあ行こう、ユリウスさんが待ってるよ」
アルベールはゆっくりと慎重に扉を押さえているグランの元へ歩みを進める。後ろではルリアとジータが行ってらっしゃいと手を振りながら見送っていた。
グランサイファーの廊下に出たアルベールは床に敷き詰められた赤いカーペットに目を見開いて驚く。わざわざ準備をしたのだろう、それもアルベールに気づかれないように。おそらく用意にはグランだけではなくもっと大勢の仲間が関わっているに違いなく、もぞもぞとした擽ったさにアルベールは小さく身動いだ。大勢の仲間に祝われるなど思ってもいなかったし、なによりもこうした女性らしい衣装などで着飾ったことは少なく、それをユリウスに見られるのは気恥ずかしさが勝る。
赤いカーペットは足音を響かせることはないが慣れていないヒールではどうしても歩みは遅くなる。それを見越して低めのヒールを持ってきてくれたコルワには本当に頭が下がる思いだ。アルベールのゆっくりとした歩みに対してグランは一歩先を歩き、時々転びそうになるこちらをいつでも支えられるように手を差し伸べている。
「……本当に、団長には世話になるな」
前のときも、今回も。
そもそもアルベールとユリウスが二人でグランサイファーに来ることが出来たのは、二人が秩序の騎空団に召集をかけられたからだ。でなければまた反乱を起こされるのではないかという疑心から二人が一緒に国外へ出ることなど許されることはない。だが秩序の騎空団は全空域でその名を轟かせており、名前の通り秩序を正す存在だ。二人を嫌っている人々もそれに逆らうことは出来ず、逆に二人の国への叛逆を暴いてくれるかもしれないと期待を込めて送り出してくれていた。秩序の騎空団──モニカとリーシャがグランに依頼をされて二人を呼び出したなどとは知らずに。
そうしてグランサイファーを訪れた二人を待っていたのはこの結婚式だ。正直、戸惑いを隠せない部分はある。秘密を知る人間が多くなればなるほど秘密がもれる可能性も高くなるからだ。けれども、アルベールよりも年下のグランやユリウスの命の恩人であるルリアが二人のことを考え、行動してくれたことの喜びはなによりも強かった。
「最初は余計なお世話かな、とも考えたんだけどね。でも、やっぱりルリアの言いたいこともわかったから。それに、アルベールさんもユリウスさんも相手のことは考えるくせに自分のことは無頓着だから、僕たちがお節介した方が良さそうだし」
「酷い言われようだな」
「事実でしょう?」
グランの軽口を小突きつつ、アルベールは甲板へと続く階段を一段一段と踏みしめる。その途中、どうしても気になったことを訊ねてみた。
「ユリウスはどこにいるんだ?」
「甲板にいるよ、アルベールさんを待ってる。本当は途中からエスコートを交代する予定だったんだけど、ユリウスさんが遠慮したんだ。その代わり、結婚式は二人だけが良いって」
ふふ、と微かに笑ったグランはアルベールを振り返る。
「最初、二人に勝手な計画を立てて怒られるかなって思ってたんだ。それが当然だし、お節介だと言われる覚悟もしてたんだけど、でもユリウスさんがアルベールさんのウェディングドレス姿を見られるなら良いって言ってくれて。あんな照れたようにそっぽ向くユリウスさん初めて見たよ」
「そう、か」
グランの口から聞かされたユリウスの言葉にアルベールは頬に熱が集まるのがわかった。少なくともユリウスはアルベールのウェディングドレス姿を心待ちにしてくれているらしく、似合わないと言われたらどうしようという懸念が消えた。それと同時に、グランになにを言っているんだという羞恥心が沸き起こり目の前の彼の顔をまともに見られる気がしない。
「照れてるアルベールさんも初めてかもね。それにしても二人だけで結婚式したいって、前々から思っていたけどユリウスさんって嫉妬深いのかな? アルベールさんのウェディングドレス姿を他人に見せたくないってことでしょう?」
その言葉にアルベールは緩やかに首を横に振る。確かにユリウスは嫉妬深い一面もあるが、仲間の参列を断ったのは違う理由だろう。それこそ罪人だと考えている節があるユリウスは祝福される資格がないと考えたのかもしれない。だがそれをグランに伝えることは不義理だろうとアルベールは心の奥にしまい込んだ。
「……ああ見えて、ユリウスは意外とロマンチストなんだ。もしかしたら、二人きりの結婚式に憧れていたのかもしれないな」
「それって惚気?」
くすり、と笑みを零したグランが甲板への扉を開け、アルベールが通り過ぎるのを待つ。すれ違いざまに告げた感謝の言葉に、グランは笑みを深くして静かに扉を閉める。
蝶番が小さな金属音を立てたのを背中で聞きながら、真っ青な空の下、タキシード姿のユリウスを視界に映す。空の青に映える白いタキシードはまるで雲のようで、アルベールはまるで自分が空に浮いているように錯覚してしまう。ふわふわと夢心地のような、そんな心地よささえ覚えていた。
一歩を踏み出したアルベールにユリウスもまた同じように歩を進める。互いに手を伸ばせば届く距離で立ち止まり、顔を見合わせた。
「……白い服が、似合わないな」
つい口から零れてしまった言葉にアルベールがしまった、と言い訳するよりも早くユリウスの指が頬を抓る。
「聞こえなかったのだが、もう一度言ってくれないか?」
「しゅ、しゅまない……! か、格好いいぞ、ユリウス!」
アルベールのお世辞を聞いたユリウスが長いため息を吐く。似合わないなどとこの場で口にするつもりはアルベールもなかったのだが、無意識にもれてしまったのは仕方がないだろう。だってアルベールは今まで白を纏ったユリウスを見たことがなかったのだ。結婚式には白が似合うとしても、いつものあの格好でアルベールを待っていてくれた方が嬉しかった。もう二度とユリウスの不安や恐怖を見逃さないと誓ったアルベールは、こうしていざ自分が知らない新たな彼を見せられるとざわり、と心が震えてしまう。
どうか置いていかないでくれ。そう言葉にすれば、その不安が現実になりそうでアルベールは黙り込む。
不安そうに瞳を揺らすアルベールの頬をユリウスの指が撫で、彼は耳元へ顔を寄せた。
「綺麗だ」
囁かれた言葉が脳に届いた瞬間、アルベールは顔から火が出たかと思うほど全身が熱くなる。勝ち誇ったような表情をしているユリウスに、アルベールはただただ羞恥心で身悶えるしかない。
「…………馬鹿」
ようやく音になった言葉は風にかき消されそうに小さく、それでもユリウスには聞こえていたのだろう。
ユリウスはまるで神聖なものかのようにアルベールの手を取り、片膝をついて告げる。
「私と、結婚して欲しい」
「────っ、」
その瞬間の感情を、アルベールはなんと呼ぶのかわからなかった。心は嵐のように様々な感情がわき上がっては消え、身体が勝手に震える。目の前にいるユリウスも見えなくなるくらいに視界が滲み、堪えきれない涙が頬を流れていく。穏やかに笑うユリウスを視認して、どうしようもないくらい胸が締めつけられた。
ブーケが床に落ちたことも気づかないまま、アルベールは衣装が乱れることも厭わずにユリウスに抱きつく。声を上げて泣きじゃくり、目の前の愛しい人の背中に手を回す。
今だけは騎士団長や雷迅卿と呼ばれる英雄という責務から解放され、ただユリウスを愛した一人の女性としていられる。そのことが、なによりも幸福であった。
ぎゅっと抱きしめ返してきたユリウスは一度身体を離し、アルベールの両頬へ手を添える。
神父の誓いもない、婚姻の届けも出すことが出来ない。形だけの結婚式で、これにはなんの効力を持たないことをアルベールは理解している。
けれど、そんなことは今の幸せに比べたら些末事でしかない。
これから先、どんな未来が待っていようと二人でなら──いや、ユリウスと仲間がいればどんなことも乗り越えられる。そう思えるほどに、アルベールは幸せであった。
「愛してる、アルベール」
誓いのキスが落とされる瞬間、アルベールは確かに、この世界で一番幸福な花嫁だった。
先天的女体化作品を書いたのはこれが初でした(後天性なら何度かある)
昔の作品ですので拙い出来ではあるのですが、強い思い入れがある作品です。タイトルはCeltic Womanさんの楽曲から