One and One

泥中で咲き誇る徒花

 罰を受けたかった。罪を糾弾して欲しかった。罪人だ、父王殺しと民衆に詰められて処刑されてしまえば良かったと思わない日はなく、生きているだけで罪を重ねている毎日だ。なのに優しい、悪く言えば甘い仲間たちは決して己を責めることはない。星晶獣のせいだと言う。
 ──その誘いに応じたのは、紛れもなく自分の意思だというのに。

「……それで、その話を俺に聞かせてお前はどうしたいんだ?」
 もしも言葉に温度があるのならばアルベールの口から発せられた言葉はさぞ冷々たるものだっただろう。放った本人でさえその切り捨てるかのような声色が出たことに驚いていた。だが言われた人物──ユリウスは酒で正常な思考が保てないのかアルベールの動揺に気づいた様子はない。ベッドに四肢を投げ出しつつ口角を歪ませて、自虐的な笑みを浮かべながらこちらを見つめている。
「フフッ、なにも。親友殿がすることはなにもないさ。だって君は、私が望むことを叶えてくれないだろう?」
「…………」
 黙り込んだアルベールを図星と捉えたのかユリウスはくつくつと肩を震わせながら声を上げて笑う。その拍子に酒で潤んでいた瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「どうして、私は、君を……」
 笑いの途中でユリウスはぽつりと静かに呟く。その声色はアルベールの胸を締めつけるには充分すぎるほどで、その後に続く言葉を遮るように手のひらで彼の目を覆った。
「……もう、寝ろ」
「……ああ、お休み、親友殿」
 ユリウスの言葉にアルベールが目を覆っていた手を離せば彼の瞳が閉じられているのが見えた。そのままじっと見つめていると寝息が耳に届き、そこでようやくアルベールは呼吸を思い出したかのように長い息を吐く。普段なら絶対にしない体勢で眠りについたユリウスの頬を流れた涙を指で拭いながら、彼が寝ているベッドに顔を埋めた。
 アルベールの胸を支配するのは悔しさと己に対しての情けなさだ。ユリウスが自身の立場について悩んでいることは薄々気づいていたがここまで追い詰められていたとはわからなかった。レヴィオンを離れ、グランサイファーという安堵できる場所で気が緩んだところに飲酒で箍が外れたのだろうか。すっかり酔っ払ってしまったユリウスを与えられた客室まで連れて行き、ベッドに横たわせた瞬間に先ほどの告白を受けた。いや、あれは告白という生ぬるいものではきっとない。あの事件で生まれた感情のその全てが凝縮されたユリウスそのもののだった。
 顔をずらし、眠っているユリウスを覗き見る。彼の言葉がアルベールの頭の中を巡ってかき乱す。自分たちはずっとユリウスを追い詰めていたのだろうか。彼の言うとおり糾弾して罪を償わせれば、昔ユリウスが望んだとおり星晶獣に寄生されたままの姿でいるのを許していたら泣かせることはなかったのかもしれない。
 ──けれどそれは、間違いなく二人の決別となってしまう。
 アルベールはユリウスを起こさぬようゆっくりと立ち上がり扉へ向かった。行き先は一つ、団長であるグランの部屋だ。夜分に訪ねるのは心苦しいがそれでもこの問題を一刻も早く解決したかった。
 自然と早足になっていたせいか与えられた客室からグランの部屋までアルベールはそれほど時間がかからずに辿り着く。コンコンと扉をノックすればすぐに「どうぞ」という返答があり、音を立てないようにドアノブを回した。
「すまない、団長。少しだけ失礼する」
「あれ、アルベール? こんな夜更けに珍しいね、なにかあった?」
 椅子に座りながらこちらを振り返ったグランはこちらの姿を見て少し驚いたように目を見開いた。「ルリアが来たのかと思ったよ」そう言いながら彼はアルベールをもう一つの椅子に座るように促す。真夜中にルリアが来ることを許容しているグランに聞き間違いかと思わず問いかけた。
「こんな遅い時間にルリアが来ることがあるのか?」
「うん、たまにね。怖い夢を見たとか、まだおしゃべりしたいときとか。……僕が眠れないときとか、ホットミルクを持って来てくれることもあるんだ」
「そう、なのか……」
 グランとルリアが恋仲なのかとちょっとだけ驚愕したアルベールだが、彼の言葉の節から推測すればそういう関係ではないのだろう。それでも彼らは傍にいるのが当然のように思え、この先もずっと一緒にいるのだろうと感じた。
 アルベールも、ユリウスに対してそう思っていた。隣で並び立つのが当たり前だと、レヴィオンを一緒により良い国にしていくのだと残酷なまでに疑わないでそう信じ切っていた。盲目な信頼がユリウスをよりいっそう傷つけていたのに、だ。
「……それで、アルベールの用事はなに? 深刻そうな表情をしているけど、やっぱり依頼の件はまずかったかな……?」
「ああ、いや、そんなことはない。正直レヴィオンから連れ出してくれて助かったくらいだ」
 促された椅子に腰かけながらアルベールはグランサイファーに搭乗したきっかけを思い出していた。それはある土地の土壌汚染をユリウスに解決して欲しいというグランからの依頼を受嘱したからだ。とはいえ、彼がそう簡単にレヴィオンを離れることは難しく──未だに不審の目が向けられているためである──一度は断った二人だが、その問題はとある少女が解決してくれた。
 秩序の騎空団第四騎空艇団の船長であるリーシャ。彼女もまた土地の土壌汚染に心を痛めていた一人である。そのため個人的にグランに話をし、それが巡ってユリウスへの依頼へと繋がった。秩序の騎空団からの正式な依頼ではないとはいえ、第四騎空艇団の船長を務める彼女の頼みを無下にすることは評議会も出来ず、ユリウスの護衛役としてアルベールも共にグランサイファーへと搭乗したのだ。期間は七日間、そしてレヴィオンから島に向かう初日の夜に二人はラードゥガで酒を勧められ今に至る。
「そう、それなら良かった。このまま問題がなければ明日の午前中には到着出来ると思うよ。それからユリウスさんには問題の土地を見てもらって、その後どうするか話し合おうと思うんだ」
「それについてだが、午後まで待ってもらうことは可能だろうか? その、一刻も早く解決しなければならない問題だとわかっているんだが、少しだけユリウスと話がしたいんだ」
 島の住民のことを思えば自分たちの問題は後回しにするべきだとアルベールも理解している。けれど後手に回ればおそらくだがユリウスはもう二度と本音を語ってくれないだろう。酒に酔ったなど適当な理由をつけてアルベールの追求をのらりくらりと躱す様子がありありと思い浮かぶ。
「どうして、って理由を聞いても良い?」
「…………」
 グランからの問いにアルベールは口を開き、そのまま言葉を飲み込んだ。彼の疑問は当然のことだがユリウスが抱えているものを勝手に話して良いものかわからなかった。事件の解決を手伝ってくれたグランたちには話すべきだという感情とたとえ彼らだとしても話すべきではないという感情がせめぎあっている。
 黙り込んでしまったアルベールにグランは「わかった」と言い、それから困ったように笑う。
「答えられないなら答えなくて大丈夫だよ。それと依頼の件も僕たちの方でやっておくから明日はアルベールとユリウスさんは一日自由行動で良いよ。というか、最初からそのつもりだったしね」
「団長……?」
「本当は二人にこの件を依頼するつもりなんてなかったんだよ。元々エウロペやブローディアに頼むつもりだったんだ、彼女たちならすぐに解決出来るだろうし。レヴィオンに行ったのは二人が元気かなって様子を見に行っただけ」
「では、どうして俺たちに依頼を?」
「だって二人の顔色すごく悪そうだったからさ。これはまずい、休ませなきゃ! と思って一芝居打たせてもらったよ。それに国の復興について聞いてそれを村の復興に役立てられたらと思った部分もあるから話を聞きたかったという事情もあって。でも二人を騙していたことになるよね、ごめんなさい」
 グランは立ち上がり深々と頭を下げて謝罪したため、アルベールは慌てて首を横に振った。
「団長が謝罪する必要なんてない、逆に俺が団長に礼を言わなくてはいけないくらいだ。団長が依頼してくれなかったらきっとユリウスと俺は共倒れしていたと思う。だから、ありがとう、団長」
 アルベールの言葉にグランはほっとしたように表情を緩ませる。年下の少年に気を遣わせていたのだと己の不甲斐なさを恥じ、俯く。グランは一目でユリウスが無理をしていると見抜いたのにアルベールは彼なら大丈夫だろうとなにも行動をしてこなかった。昔となにも変わらない。
「俺は……ユリウスの傍にいない方が良いのかもしれない……。ユリウスを苦しませている原因の一つである俺が、彼を救いたいなんて烏滸がましいのかもしれない」
「それは違うよ」
 零した弱気を断ち切るようにグランははっきりと力強く否定する。その言葉にはっとしたかのように顔を上げたアルベールと彼の視線が交わる。どこまでも真っ直ぐな瞳は真っ正面からこちらを射貫いていた。
「少なくとも僕はそう思わない。ユリウスさんが星晶獣に寄生されて二つの心に分かれたとき、どちらも心の中心にいたのはアルベールの存在だったじゃないか。アルベールがただ苦しませる存在なだけだったならそんな風にはならない。大切だから、大事な親友だからこそユリウスさんの二つの心のなかにもアルベールの存在があったんだよ。そんな人が傍にいない方が良いなんて、絶対にない」
「団長……」
「アルベールがどうしてそう思ったのか僕にはわからない。けれど、ユリウスさんの様子や今のアルベールを見て確信したのは、二人はもっと本音を話しあった方が良いってことかな」
「そう、か……」
「うん、そう。アルベールもそう思ったから今夜ここに来たんだよね? それに、ユリウスさんみたいな性格の人にはきっとアルベールみたいな人が必要だよ。真っ直ぐで嘘をつけなくて、からかわれたり驚かされたりする人」
「それは褒め言葉なのか……?」
「それでいて、困難に立ち向かって光の方向に手を引いてくれる。そんな人がきっとユリウスさんには必要なんだよ。そして、それはアルベールだけが出来ると思う」
 にっこりと笑ったグランは「もうそろそろ寝た方が良いんじゃないかな?」と有無を言わせない様子で退室を促す。確かに深夜だというのに長居をしてしまったと慌てて席を立ちドアノブに手をかけたアルベールの背に彼は声を投げかけた。
「頑張ってね、アルベール」
「──ありがとう、団長」
 ひらひらと手を振るグランを視界に映してからアルベールは扉を閉め、客室に戻りながら団長には勝てそうにないと独り言ちる。グランはアルベールを真っ直ぐな人と評価したがこちらから言わせれば彼ほど真直な人物はいないだろうと思う。どこまでも強い子だ、と考えながらアルベールは自分に与えられた客室の扉の前に立つ。まだユリウスは眠っているのだろうか。起きていたとしても彼は狸寝入りをするだろうな、と苦笑しながら部屋の中に入る。
 全ては明日。どんな話し合いになろうとも二人の関係が変化するのだろうと感じながら、アルベールはベッドに横になった。

「今日の予定だけど、ラカムとオイゲンさんとノア、サンダルフォンは艇に残って欲しい。ルリアとカタリナさん、リーシャは僕と一緒に村長さんのところへ。エウロペとブローディアは先に土地にどんな問題があるのか見てきて欲しい。他の人は自由行動でお願いします」
 ざわめくグランサイファーの朝の食堂でもグランの声は喧噪のなかでも良く聞こえ、今日の方針を団員に知らせる。アルベールの隣で食事を取っていたユリウスは自身の名前が呼ばれなかったことに疑問を抱き、挙手して言葉を投げかけた。
「団長、私とアルベールの名前が挙げられていないが」
「ユリウスさんとアルベールは自由行動だよ。その理由はアルベールから聞いて欲しいな。あとこれは団長命令だから異議は認めないです。他に意見がある人は……いないみたいだね」
 じゃあ解散、とグランの一言で食堂に集まっていた仲間たちは去って行く。その途中、何人かはこちらへ視線を向けたがこうなることをわかっていたアルベールは軽く受け流す。対照的に謀られたと気づいたユリウスは不機嫌そうにため息を零し、だが席を立とうとはしなかった。
 周囲に人がいなくなり、静かになった食堂でユリウスが口を開く。
「それで? 私たちが自由行動になった理由とは一体なんなのか君は答えてくれるのかい?」
「依頼の件は俺たちの顔色が悪くて休暇を取らせるために団長が一芝居を打ってくれたそうだ。もっとも、今日が自由行動になったのは俺の要望でもあった」
「…………そうか」
「……俺は、昨夜のことをなあなあにするつもりはない。酔っ払っていて覚えていないなんて言葉は言わせないぞ」
「………………」
 口を噤むユリウスに緊張で喉がカラカラになりながらもアルベールは沈黙を破ろうとするが、それよりも早くテーブルに二つの珈琲が置かれる。今まで感じなかった気配に驚きつつ視線を向ければサンダルフォンが立っていた。
「サービスだ」
「あ、ああ……ありがとう」
「……一つだけアドバイスするなら、言いたいことがあるならきちんと言った方が良い。キミたちは話しあえる相手がいるのだろう? 失ってからでは遅いぞ」
 飲み終わったカップは自分たちで下げてくれとぶっきらぼうに言いながらサンダルフォンは去って行く。アルベールは彼とあまり接したことはないが一度だけ共闘したことがあり、その原因となった出来事を軽く説明されていた。サンダルフォンが求めていた人物がこの世界から消えてしまったことも。
 せっかく淹れてくれたのだからと二人で珈琲を飲む。心の底から温まるような珈琲は場に流れている嫌な沈黙を払拭し、ゆらゆらと揺れる黒い水面を見つめながらアルベールはユリウスに話しかけた。
「……ユリウス、お前は、その……自分が罰を受ければ良いと思っていたのか?」
「……ああ」
「ずっと、俺たちと過ごしていたときもそう思っていたのか?」
「むしろ、君たちと過ごしていたからだろうね。君たちがいないときに向けられていた嫌悪や不信感は私にとって心地良いものだったよ。──ああ、私は許されぬ罪人なのだと思えた」
 自嘲を含んだ言い方にアルベールがユリウスへ顔を向けると睨みつけるような視線と目があう。赤褐色の瞳は諦めや憎しみ、様々な感情で揺れているように見え、思わずぎゅっと胸を押えた。ユリウスのことをなにもわかっていなかったと打ちひしがれ、腹の奥から込み上げてくる感情に動揺させられつつアルベールは言葉を続ける。
「俺たちは……俺は、お前をずっと傷つけていたのか? 俺の存在はお前にとってただの重荷だったのか?」
「……そんなことはない、そう、最初はそんなことはなかった。君たちの存在に、アルベール、君という存在に確かに私は助けられていたよ。こういうことを幸せと呼ぶのだとわかった」
「ではなぜ……!?」
「幸せだったから、苦しいんだ。罪を償うために祖国のために命を捧げると誓ったのに、私はきっと今まで生きてきたなかで一番幸福を感じていた」
 ユリウスは手で髪を掻き毟るような仕草をしながら歪に口角を上げる。その表情はまるで迷子の子どもが泣きたくても泣けないでいるような、そんな風に思えた。初めて見るユリウスの表情に無意識にアルベールも顔をくしゃりと歪ませてしまう。
 自分は一体相手のなにを見てきたのだろう、とこれまで過ごしてきた時間を思い出しながらアルベールはユリウスの弱音を聞いていた。
「笑いあえる日々は幸せだった。けれど、暫くしてから思い出したよ。この幸福は、父親の屍の上で成り立っているのだ、と。幸せであればあるほど、自分の手が血に汚れていることを思い出してしまう。父を殺した時の恍惚、生温かい血の感覚を何度も夢に見た」
「陛下を殺したのは寄生した星晶獣に唆されたせいでお前の本心じゃなかっただろう……っ!」
 昨夜のユリウスが零した言葉を思い返しながらもアルベールはそう叫ぶしか出来ない。彼の本心だと認めるわけにはいかなかった。なぜなら、それは、その王殺しの引き金を引いたのは──。
 だがユリウスは無慈悲に否定する。首をゆっくりと横に振り、アルベールを断罪する言葉を放つ。
「君が天雷剣を下賜されたとき、私は確かに自らの意思で陛下を殺したいと思った。そして、それは君もだ、アルベール」
「────っ!」
「私は、あのとき君を殺したかった。……確かに、星晶獣に寄生され感情が増幅されていたことは否めない。だがほんの少しでも、欠片でも、私はあのとき間違いなく自らの意思で君に殺意を抱いたんだ」
 言葉を失っているアルベールの両肩に手を置き、たたみかけるようにユリウスは声を張り上げる。感情が高ぶり彼の瞳からは次々と滴が溢れて頬を濡らしていくが昨夜は拭えた涙を今のアルベールには拭うことは出来ず、その事実に途方もないくらいに泣きたくなってしまった。
「お笑いぐさだと思わないか? 親友だとなんだと言っていて私は君を殺したいほどに憎んでいたんだ。しかも殺意を抱いていたことを星晶獣のせいだと誤魔化し、今もこうして親友面して隣にいた。そのせいで君が……アルベールが疑いの目を向けられる道理など一つもないのに……っ! 私が、私のせいで君は謂われのない汚名を着せられてしまっている……っ!!」
「ユリ、ウス……」
「それなのに、それでも……」
 ユリウスの声は震え、肩を掴む指は痛いほどに食い込んでいる。だが手を払おうとはアルベールは思えなかった。むしろ声で、表情で、全身で苦しいと訴えるユリウスを抱きしめたいとさえ感じた。ぴくり、と先ほどまで動き方を忘れていた指に力が入ると同時に彼が叫んだ。
「それでも、私は君の傍にいたい……っ! どんなに苦しくとも、自分自身が最低な人間だと自覚していても、君がっ、君と過ごす日々は私の幸福だった……っ!!」
 血を吐くような叫びについにアルベールの瞳から涙が零れる。誰よりも泣きたいのはユリウスだとわかっていても壊れたかのように溢れ出る涙を止められずに喉を引き攣らせた。
 どうして、気づけなかったのだろうか。アルベールが気づき、知らなくてはいけなかったことを、ユリウスに告白させてしまった。親友面と彼は言ったが、それはきっと己も同じだったのに。親友という立場に甘えて傷つけて、苦しませた。過去にユリウスを信じず、追い詰めたのは誰でもないアルベールで、傍にいる資格がないのも己の方だ。
「君といると幸せで、だが同時に己の罪深さを自覚した。離れるべきだと理解していたのに、自分のために出来なかった。浅ましくて、弱い自分を君に知られたくなかった。誰かに糾弾されれば、罰を受けることが出来たら君にこんな姿を見せないですむとそう考えていた……」
「ユリウス……」
「いっそ君に殺されてしまいたいと、そう願う日もあったよ。そうすれば君は英雄のままで、私は君の親友のまま死ぬことが出来たかもしれないと考えた。……アルベール、君にだけはこんな私を知られたくなかった」
 それきりユリウスは口を閉ざして俯く。それでも肩を掴む手は離れていない。それはまるでユリウスの心情を表しているように思えた。傍にいたい、けれど傍にいることで彼は傷ついてしまう。ならば、離れることが正しいのではないか。
 ──いや、それは違う。
 頭に浮かんだ答えを振り払うようにアルベールは瞼を閉じ、深い息を吐く。
 離れることが正しいだなんて、そんなことは絶対にない。傍にいたいとユリウスは泣いているのに離れて得るものなどあるはずがない。彼のためを思って、というただの言い訳による自己満足しかきっと感じられないだろう。そしてそれはアルベールが欲しいものではない。昨夜彼の告白を受けて決意したことはそんなものではなかったはずだ。
 話し合いの場をグランに頼んだのは、離れるためではない。二人が決別しないよう──傍にいるために、今、ここにいる。
 アルベールが欲しいものは、今も昔もたった一つだ。
「……ユリウス」
 俯いたユリウスの両頬に手を添えて涙でしとどと濡れている頬をようやく拭う。そのまま顔を上げさせ、二人の視線をあわせた。
 子どもみたいに泣いているユリウスの顔はお世辞にも美麗端麗とは言えないが、それでもそれがきっとアルベールの見たかった姿だ。
「今からきっと俺は酷いことをお前に言う。それでも、それが俺の紛れもない本心だ」
「アルベール……」
「傍にいてくれ、ユリウス。俺も、お前と過ごす日々がなによりの幸福だ」
 断罪されるのを待つ罪人のような表情をしていたユリウスはアルベールの言葉に息を呑み、目を見開いた。
「お前が俺と一緒にいることで苦しんでいると知っても、俺はお前に傍にいて欲しい。離れた方が二人にとって正解なのかもしれない。それでも、俺は俺のためにお前に傍にいて欲しいと思う。これがエゴだとわかっている、この選択肢がずっとお前を傷つけると知っている。だが、それでも……それでも、俺はユリウスと共に歩んでいきたい……っ、お前の隣にいたい……っっ!」
 ガシャン、と陶器が地に落ちる音がどこか遠くの出来事のように聞こえる。割れたかもしれないカップのことよりもアルベールは抱きしめてくるユリウスのことしか考えられなかった。肩に顔を埋め、震えながらもしっかりと両腕で、痛いほどに彼はアルベールを抱きしめていた。肩がユリウスの涙で濡れていき、自身もまた視界が滲んでいく。
「お前が、俺に殺意を抱いていたなら、それはきっと俺の罪だ。お前に甘え、知ろうともしなかった罪。ユリウスが違うと言っても、お前に王殺しをさせたきっかけは間違いなく俺にあるんだ」
「……アルベール……っ!」
「俺もお前と同じ、同罪なんだ。ユリウスが苦しみを感じるのなら、それは本来俺も感じなくてはいけない苦しみのはずだ。罪をお前だけに背負わせたくない、その罪は俺も背負うものだ」
 アルベールは赤子を撫でるかのようにユリウスの背にそっと触れる。瞬間、彼はおそるおそる呟いた。
「傍にいることで、君を傷つけるかもしれない」
「お前が俺を傷つけることなんて出来ないさ」
「傍にいることで君の立場が悪くなってしまう……っ」
「俺が出世を気にする質だと思うか? お前が一番良く知っているだろう?」
「君の傍にいるだけで、私は幸福だと感じてしまう……っ!」
「俺も、幸せだ。……良いんだ、ユリウス。幸福を感じてお前が苦しむのなら、その苦しみを俺に打ち明けて欲しい。苦しみを俺にも分けて欲しい」
 顔を上げたユリウスと視線が交わる。アルベールはほろほろと涙を流しながらも穏やかに微笑んだ。
「傍にいよう、ユリウス」
「──ああ、アルベール。私の、我が親友殿……っ!」
 この瞬間、アルベールは確かに幸福を抱いてしまった。それと同時に襲ってくる苦しさに漸くユリウスの苦痛を理解する。彼も同じなのだろう、抱きしめる力が強くなる。
 身勝手で、欲深い。自己嫌悪がぐるぐると身体中を駆け巡り泣き出したくなるほどに心を突き刺す。それなのに、それでも、ユリウスの傍にいたいと心が叫んでいる。
 だからアルベールはただただユリウスの名前を呼んだ。彼が傍にいてくれることを確かめるように、この先どんなことがあっても離れることのないように。
 二人で共に歩んでいけることを、ただひたすら望みながら。

ずっと温めているユリアルの長編があるんですけど、それのテーマ的な作品です。比較的、自分では良く書けたと思っています
ユリアルオンリーイベントのための書き下ろしでした。楽しかった良い思い出ですが、その後まさかすごいことになるとは思ってもみませんでしたね…
タイトルはウォルピスカーターさんの楽曲「泥中に咲く」「徒花の涙」を捩りました。また、Aimerさんの楽曲「春はゆく」もずっと聞いていましたね。「徒花の涙」は初めて聞いた瞬間からユリウス~!となったので、こうして書けたのが嬉しかったです