頼む、とマレウス先輩に頭を下げられ断れるほど自分はこの世界のことを理解していないつもりはない。目の前できっちり45度に下げられた頭にわたわたと焦りながら顔を上げて下さいと声を掛ける。いくらゴーストとグリムしかいないオンボロ寮だとしても急に人が訪ねてくることがあるのだ。こんな場面を誰かに見られたらどんな噂が流れるのか考えたくもない。
それに、万が一にでもマレウス先輩を敬愛している──敬愛という言葉ではすまないレベルのような気もするが──セベクの耳にでも入ってしまったら。絶対に面倒なことになる、と想像だけで顔が青白くなってしまった。
半ばやけくそにわかりました! と了承の言葉を叫ぶとマレウス先輩は面を上げて子どものように破顔する。
「そうか、良かった」
それじゃあよろしく頼むと先ほどまでのしおらしい態度はどこへやら、マレウス先輩はあっさりとオンボロ寮から去って行く。きいきいと油の切れた蝶番が今の心情を表すかのように空しく響いていた。
「…………もうやだぁ…………」
思わずその場で蹲り頭を抱える。この異世界に迷い込んでから面倒事を押しつけられているような気がするのは気のせいではないだろう。そのおかげで絶対に関わることのなかった人々と出会い、友情を育めたのは幸運だけれど。それでも、そのせいで絶対に関わることのなかった厄介事にも巻き込まれているのだ。
例えばそう、マレウス先輩からのお願い事のように。
のろのろと立ち上がり、ソファーで好物のツナ缶を食べているグリムを抱きしめる。ふなーー! と驚愕に満ちた悲鳴が聞こえたがそんなのは知らないとばかりに頭をぐりぐり押しつけた。ちなみにグリムが食べているツナ缶はマレウス先輩提供である。止める間もなくグリムが食べたため、マレウス先輩のお願い事を断るという選択肢は初っぱなから消え失せたのだ。
よくよく思い出せば、今回だけではなく、今までも己が厄介事に巻き込まれる理由はグリムにも原因があるような気がする。
「………………」
ツナ缶に目がないグリムに少しぐらい意地悪をしてもいいだろうと、もふもふとしたお腹をくすぐりの刑に処すためにツナ缶を取り上げ、テーブルに置いた。ツナ缶を求めて飛びかかってくるグリムを逆に拘束し、ソファーの上で仰向けにしたあと最大限の技術を使って擽りを開始する。
息も絶え絶えに悶えているグリムの制止の声を無視しながら、長いため息を吐く。
マレウス先輩がお願いしてきたのは、リリア先輩に好きな人がいるか聞き出して欲しいということだった。
まず第一に己とリリア先輩はそれほど仲が良いわけではないのになぜそんなお願いをしてくるのか。確かに会えばにこやかに談笑したり食堂で一緒にご飯を食べるような関係ではあるが、それもあくまで先輩と後輩という枠でのことだ。第二に、リリア先輩はそういった意味で好きなのかはわからないが、彼はどう見てもマレウス先輩を特別視していて一番心を許している。あまりにもわかりやすいため周囲の人々が空気を読んで二人きりすることもあるというのに、知らぬは本人ばかりだ。
そして、これが一番重大な問題なのだが、もしもリリア先輩がマレウス先輩以外を好いていたのならどんなことが起きてしまうのか。もしかしたら己は戦争の引き金を引いてしまうかもしれない。元の世界──日本で言えば花の女子高生である己がそんな世界の命運を握るなど荷が重すぎる。
だからといってマレウス先輩のお願いを聞いてしまった以上、リリア先輩に訊ねなければ不義理になるだろう。おまけにグリムのツナ缶はもうすでに全て食い尽くしてしまっている。
グリムへのくすぐりを終了し、活を入れるため頬を軽く叩いて立ち上がった。
「私が死んだら骨は拾ってね」
グリムのなに言ってんだ、という視線を受けながら、死地に向かう気持ちでディアソムニア寮へ行くために扉に手をかけたのだった。
「それで、わしを探しておったのか」
目の前のリリア先輩は頬杖をつきながらにまにまと悪戯っ子の笑みを浮かべている。心底楽しそうな様子にこちらは苦笑いするしかなかった。
「結局、リリア先輩は好きな人はいるんですか?」
「くふふ、お主に答える義理はないのう」
「困りますよぉ……」
己が困っているのを笑いながら眺めているリリア先輩は本当に良い性格をしていると思う。だが、リリア先輩だから仕方ないと思えてしまうのは彼が本当に嫌なことはしないとわかっているからだ。どこか大人びた雰囲気を醸し出しているリリア先輩はちゃんと見極めが出来ていて、こちらが踏み込んで欲しくないと思う部分には必ず触れてこない。2年しか学年が違わないというのに達観しているかのようなリリア先輩を実は密かに尊敬している。
けれど今回だけはそんな性格が裏目に出ていて、情けない声を上げながらお願いしますと机に擦りつける勢いで頭を下げた。
「私はまだ戦争の引き金を引きたくありません……っ!」
「いや、そんなのわしだってお断りじゃが」
「リリア先輩の好きな人を聞かないと世界が滅びるんです……っ! あ、でも、好きな人はマレウス先輩でお願いします……っっ!!」
「それわしに選択肢がないじゃろうが。お主の頭ではどんな一大スペクタクルが繰り広げられておるんじゃ……」
リリア先輩はため息を一つ零し、それから穏やかに笑う。
「まったく、マレウスには毎度手を焼かされるのう……」
放たれた文句はずいぶんなものだったが、けれども口調は穏やかで目尻が下がっていた。それだけでリリア先輩がマレウス先輩を大切に想っているのが見て取れる。
己は二人の関係を詳しくは知らない。マレウス先輩が次期王様でリリア先輩が臣下だということは知れ渡っているが、二人にはそれ以上の関係があるように見える。
よくディアソムニア寮の仲の良さを家族だと噂する人がいるが、それ以上の物を感じるのだ。それこそ、女の勘というやつと言うのだろうか。
「……リリア先輩って、マレウス先輩のこと好きですよね」
ついぽろりと零れた言葉にリリア先輩は一瞬呆けたように目をぱちくりさせ、その直後くつくつと笑い始めた。
「お主、怖いもの知らずだのう……はっきりと言ってきたのはお主が初めてじゃ」
「あ、その、すみません。調子に乗りました」
「よいよい、そうじゃのう……その胆力に免じて答えてやろう。確かに、わしはマレウスを想っておる」
なんの澱みもなく答えたリリア先輩に呆気にとられるが、そんな己を無視して彼は話を続ける。
「じゃが、恋だとか好きだとかそんな生易しいものではない。もっと生々しく、過激なものじゃ」
「…………」
「マレウスを一目見た瞬間から、わしは彼奴の全てが欲しいと感じた。血も肉も、髪の毛一本さえ誰にも渡したくはない。マレウスの隣に相応しいのはわし以外におらず、わし以外を許す気は毛頭ない。マレウスがわしを好きなのはバレバレじゃが、わしの彼奴への想いはそんな言葉で語れるようなものではない。わしはマレウスのために生きて、マレウスのために死んでいく」
リリア先輩は口角を上げる。その寒気がするほどの妖艶な笑みに、背筋に悪寒が走り震えそうになる腕をぎゅっと握りしめた。
逃げ出したいが逃げ出せば二度とこのような話を聞く機会は来ないだろう。よくホラー映画で怖いもの見たさで馬鹿な行動をする登場人物がいるが、その気持ちが今ならよく分かった。ここまでどろどろとした感情を人が抱けるのだと恐ろしさと一種の感動を覚える。
どれほどの想いがあればこんなにも一途に相手を想えるのだろうか。どんな人生を歩んできたら、どれほどの二人の時間を過ごせば。二人が同性ということなどきっと些細な問題──いや、気にしたことさえないのだろう。
「……羨ましい、です」
きっと己ではそこまで他人を想うことは出来ない。自分の全てをかけて相手を受け入れるなど到底無理だ。
「ふ、ふふっ、この話を聞いて羨ましいと来たか。本当に、お主はこの世界に招かれただけはあるのう!」
腹を抱えて笑い出したリリア先輩は先ほどまでの態度を潜め、すっかりいつもの様子だ。それに安堵の息を吐きながら、次に浮上した問題に再び頭を抱えた。
「これ、どうやってマレウス先輩に伝えたら良いんですかぁ……」
「くふふ、そのまま言えば良いではないか」
「無茶言わないで下さい……」
憎たらしいほどの満面の笑顔をしているリリア先輩にこめかみがずきずきと痛くなる。やっぱり己には荷が重すぎた。
「お主の返答次第では、マレウスはもっと無理難題を押しつけてくるかもしれんのう」
「あああぁぁ…………」
あり得そうな未来に目の前が暗くなる。オンボロ寮にはツナ缶で釣られてしまう大切な相棒がいるのだ。もうさっさと二人が恋人同士になって欲しい。そうすれば、こんな馬に蹴られるようなことはなくなるはず。
「もう、勘弁してくださいぃ……」
己の懇願はリリア先輩の笑い声にかき消され、誰の耳にも届かない。それに肩を落とす自分はまだ知らなかった。
マレウス先輩とリリア先輩が恋人になってからがより面倒なことが増えるということを。
2021年10月に書いたと思われる作品。監督生は男女どちらでも良い派です。作品によってころころ変わります
タイトルはchicca*様から